岩倉山 いわくらさん

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鶴田 純久の章 お話

京都の陶工。
初代がどういう人であったか明らかでありませんが、岩倉山こと錺屋吉兵衛は1756年(宝暦六)三文字屋九右衛門の子孫が衰微したため、錦光山吉兵衛と共に代わって徳川将軍家の御茶碗師となり、粟田領三条通東町(東山区)に住んです。
子孫のうち文政・天保(1818-44)頃の吉兵衛は名手であったといわれます。
なお仁清の窯跡の一つとして左京区岩倉の地も数えられますが、岩倉山の祖先はここから出だのではないかという説があります。
(『観古図説』『日本陶器目録』)

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