赤九谷 あかくたに

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

九谷焼のうち赤絵金彩のものを伝統的な青九谷に対していう名称。
赤九谷は九谷固有の一特色ともいえますが、これを大成したのは天保年間(1830-44)に宮本屋窯にあって早くから小野窯風の赤絵にすぐれていた飯田屋八郎右衛門でありました。
しかしこれを伝統的にみたならば後藤才次郎の古九谷の当時にすでにその端を発しています。
文化年間(1804-18)の武田秀平の民山窯、文政年間(1818-30)の小野窯の作品は素地・絵付の技巧ともにまだ不十分でありましたが、八郎右衛門になって描法が著しく進歩し素地もまた白磁に近くなり、さらに後年には完全な白磁が完成して、赤彩は一層精製され金色もまた潤沢となりました。
特に彼が天保(1830-44)の末期に、越前国(福井県)気比神宮に所蔵されている『方氏墨譜』から甚大な影響を受けた後は、画風が一段と高尚となり、世人はこれを八郎手といって賞賛しました。
(『九谷陶磁史』)※いいだやはちろうえもん

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