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鶴田 純久の章 お話

朝鮮咸鏡北道会寧郡は豆満江を隔てて中国吉林省間島と接し、その主都を会寧とします。
この地の窯業の創始期はおそらく金時代らしく、最初は金・元の雑窯の下等品と同じものを焼造し、のち汝窯に学んです。
出土破片中に汝窯とまったく同じものかおります。
胎はもちろん異なりますが、釉色は分かち難い。
その位置関係上朝鮮の本流を離れ、やきものは中国北部の風かおる。
今世紀まで窯煙を絶たず昔ならの種々のやきものを出していましたが、北朝鮮の治下での現況は不明であります。
器は壺、大鉢、高台の高い皿、鉢の子型の碗、片口などで、おおむね大振りであります。
胎土は分厚く粗く鼠または赤色で、釉は帯黄褐色に海鼠の出たものや黒釉などがあって、多くの場合腰または高台際位まで掛かり、中位の貫入かおります。
また朝鮮唐津・斑唐津に酷似しているものかおります。
(『支那古陶甕』『茶わん』四三)

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