献上唐津 けんじょうからつ

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鶴田 純久の章 お話

肥前唐津城主より徳川将軍家に献上した唐津焼の茶碗。唐津城主詩寺沢志摩の守広高が、寛永年間(1624~44))椎(しい)の峰の工人に命じてつくらせたのにはじまり、歴代の唐津城主が献上しました。
中でも安政年間(1854~60)小笹原候により献上された雲鶴象嵌の茶碗が有名。,
茶道辞典,淡交社より
幕府に献上した唐津焼のことで、寛永年間唐津城主寺沢志摩守広高が椎の峰の工人に命じて作らせたのに始まり、以後大久保・松平・土井・水野の代々の唐津城主のときに作らせました。
宝永4年から坊主町・唐人町で作られるようになりました。
この種は大正期まで焼成されていました。
絵付けは御用絵師によって成され、胎土はきめ細かく、雲鶴文の象嵌(ぞうがん)がよく知られています。

年々徳川幕府に献上した唐津焼の茶碗。寛永年間(1624~44)唐津城主寺沢志摩守広高が椎の峰の工人に命じてつくらせたのに始まり、以後大久保・松平・土井・水野の代々の唐津城主の時にもあったが、最も有名なのは、安政年間(1854~60)同城主小笠原侯の命でつくった雲鶴の模様を鉄で象嵌した大形の茶碗である。白色の土に枇杷色の釉を施し、高台は外張りで普通のものに比べて5ミリ程高い。

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