神楽崎焼 かぐらざきやき

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鶴田 純久の章 お話

出雲国能義郡母里(島根県安来市伯太町母里)の近傍西市にあったもので、もと母里藩士隅田仙亭の窯であります。
仙亭は多才であり、陶業は鉱山事業の失敗による窮余の一策であるといいますが、早くから製陶に精しく、1877年(明治一〇)頃自宅内に窯を築きましたが、付近の居住者の反対によりこの地へ移転したのであります。
背後の小山に天満宮を祀ってあるのに因んで窯を神楽崎と号しました。
最も得意とするのは鉄錆色の土釜・土瓶であり、硬度・外観ともに鉄製に近く、第二回内国博覧会などに出品して大いに名声を挙げました。
しかし一般の作は脆弱の評がありました。
器ごとに神楽崎または仙亭の印を用いました。
また富水亭・寿鶯などの押印があり、いずれも別号であるといいます。
(『出雲陶窯』)

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