川原芳工 かわはらほうこう

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鶴田 純久の章 お話

大隅国(鹿児島県)竜門司焼川原窯の祖川原十左衛門種甫。
芳工は陶号。
加治木島津家の臣であったが山本碗右衛門について陶法を学び、1768年(明和五)竪野窯に至って河野仙右衛門につくこと十二年、帰って流釉その他数種の製法を始めました。
1779年(安永八)領主に請うて肥前国(佐賀・長崎県)に行き磁器の製法を伝受。
さらに1793年(寛政五)竪野の工星山金臣と各地の陶場を視察し、京都で錦光山宗兵衛から京焼・楽焼きの法を伝受し、翌年正月帰ってついに鮫肌焼の製法を案出。
領主は金品をえてこれを賞しました。
やがて今の鹿児島市吉野町に移り錦手の製造に従事しましたが、1798年(寛政一〇)11月没。
子孫が業を継ぎ竜門司焼に従事。
二代種春(器遊斎)・三代種則・四代種文、他に支流が数家あります。
なお従来川原家を帰化朝鮮人の子孫とした説が多かったですが、これは誤りであります。
『薩摩焼総鑑』

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