川本治兵衛 かわもとじひょうえ

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鶴田 純久の章 お話

瀬戸の陶工。
初代治兵衛は宝暦年中(1751-64)の人でもと農業。
1770年(明和七)4月同村の著名な古窯である朝日窯・夕日窯を経塚山に再築し、久しく中絶していた海鼠腸壺を製して尾張家に納め、その功により経塚山を除地されました。
1807年(文化四)6月加藤民吉が肥前国(佐賀・長崎県)から磁法を得て帰りますと、彼について種々の磁器を製し良工の名を得ました。
治兵衛はまた世才にだけ、長男勝助を陶本屋と称させて名古屋に派し、尾張家御蔵元瀬戸物問屋に列せさせ、四男達平には江戸で瀬戸物問屋を開かせた。
1825年(文政八)業を三男藤平に継がせて退隠。
藤平はのち治兵衛を襲名し壕仙堂と号しました。
(『をはりの花』)※そせんどう

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