吉州窯 きっしゅうよう

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鶴田 純久の章 お話

中国江西省吉安府永和鎮にあった窯で、鎮名をとって永和窯ともいいます。
文献にはいろいろの記述があるが(「永和窯」の項参照)、近来の知見とはかなり隔たりがあるようです。
この窯の起原は唐あるいはそれ以前ともいわれるが定かではないようです。
1937年イギリスの学者ブランクストンが、この窯跡を調査して大英博物館にある稀代の名品唐白磁画花文鳳首瓶と同好の破片を発掘したことから、この窯が遅くとも唐末頃には活動を始め、優秀な白磁を焼いたことが明らかになりました。
もっとも戦後の中国の調査ではこれに類する破片の出土をみず、この説に疑問を持つ向きもありますが、その後大英博物館の鳳首壺に近似する遺品が東南アジアなどでいくつか発見されており、一応それらを唐末。五代の吉州窯産とみるのが通説となっています。
しかしこの吉州の窯名を最も高からしめかつ遺品にも富んでいるのは、吉安天目と呼ばれる耽破蓋天目の類で、南宋の頃福建省建窯から移住して来た天目づくりの陶工によって始められたものであるでしょう。濃褐色の釉の一部に駿甲色の釉斑を配してさまざまの文様を得るもので、わが国では古くから抹茶茶碗として大量に輸入され珍重されている(「蹴皮盞」の項参照)。なおこの時期には貳破釉を応用した壺・瓶・鉢などもつくられており、中国の報告ではほかに青磁・白磁・白磁鉄砂・青白磁が、また元以後には青花もつくられています.

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