木下長囃子 きのしたちょうしょうし

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鶴田 純久の章 お話

若狭国(福井県)小浜城主。
『挙白集』の著者。
名は勝俊、宇は大蔵、長哺子・天哉翁・挙白・松洞などの号があります。
1570年(元亀元)生まれ。
肥後守家定の子で、豊臣秀吉の北政所はその伯母であります。
幼少から秀吉に仕え羽柴姓を賜り、1588年(天正一六)従四位下に叙せられ、1594年(文禄三)小浜城主となりましました。
しかし1600年(慶長五)の関が原の役後徳川氏によって封を奪われ、京都東山霊山に隠棲して長囃子と改め、風月を友として1650年(慶安三)6月15日没、八十一歳。
和歌を細川幽斎に、茶を利休に学び、蔵書家としても名高く、また木下丸壺・籾肩衝その他の名器を所持しました。

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