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鶴田 純久の章 お話

本名弥助、享和年間(1716-36)の人。
近江国坂本(滋賀県大津市坂本)の木村平兵衛の七男でありましたが、千家に出入りし楽焼きを始め、赤楽に最もすぐれていましました。
のち剃髪して啄元と号し八十三歳で没した⑩⑩二代弥助もまた父に劣らない巧手で1836年(天保七)3月紀州偕楽園焼に招かれ藩主治宝より久楽の印を賜りました。
それで久楽焼きの名があります。
(『陶器類集』)

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