京都市陶磁器試験場 きょうとしとうじきしけんじょう

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鶴田 純久の章 お話

1889年(明治二二)京都における第四回内国勧業博覧会の成績によりますと、京都産の陶器は保守的で他府県の進出に比して旧来の声価を維持し難くなりましました。
そこで錦光山宗兵衛ら有志者の運動により、1896年(同二九)五条坂に試験場を設立し、場長に藤江永孝を挙用しました。
そして中沢岩太が顧問に当たり、設備も次第に整備され、1899年(同三二)より伝習生を養成したのが、大正以来京都陶芸界の中堅に立つようになりましました。
試験場の事業は、原料・素地・釉薬の研究改良、外国新製品の製出、製法の機械化、石炭窯の焼成など技術各方面にわたり、特に在来の手工的方法を改め工場の生産能率を高め、広く同業界の改良を促しました。
藤江場長の没後植田豊橘に代わり、1919年(大正八)国立の陶磁器試験所に昇格し伏見区深草正覚町に移りました。
現在の京都市工業試験場(南区西九条南田町)の前身。

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