金久永 きんきゅうえい

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鶴田 純久の章 お話

肥前国東彼杵郡木原山(長崎県佐世保市)の陶祖と伝えられます。
1598年(慶長三)松浦侯に従って朝鮮よりわが国に渡り、1603年(同八)木原山中の蔑ノ元に開窯し、多くの朝鮮人陶工を使役して陶器を焼き始めましました。
久永は一生別名を用いなかったようであります。
生年不明、承応年間(1652-5)百十歳以上で没したといいます。
墓は薩ノ元窯跡に立っていて、碑面に宗金・妙永と記されています。
宗金は金久永の法名、妙永は妻の法名。
裏面に碑文があったようだが墓石剥落して読むことができないようです。
(『古木原焼及木原系諸窯に就きて』)※きわらがま

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