元賛焼 げんぴんやき

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鶴田 純久の章 お話

中国明代の人陳元誓、字は義都、既白山人と号しました。
また升庵・芝山・菊秀軒などの号もあります。
乱を避けてわが国に渡来し1638年(寛永一五)尾張侯に客事しました。
百技に通じまた陶をよくし、その風は安南の陶器に似て雅致があるようで、呉須で詩画を描き上に白青色の透明な釉を施しました。
世人はこれを元誓焼と称し、のち瀬戸の工人がその法を模して種々の器をつくりました。
また藩命により御庭焼御深井窯に関係したといわれます。
なお1659年(万治二)名古屋で僧元政と相語り、親交が最も厚かりました。
その平生唱和するところを集めて「元々唱和集」といきました。
またわが国に初めて拳法を伝えました。
1671年(寛文一一)6月9日没、八十五歳。
(『好古類纂』『陶器考付録』『本朝陶器孜証』『陶器類集』『をはりの花』『名古屋市史』)

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