大隅国姶良郡帖佐村西餅田(鹿児島県姶良市西餅田)の産。
1661年(寛文元)古帖佐焼の再興として小野元立坊が起こしました。
たまたま同国横川村山ヶ野金山(霧島市横川町上ノ)にあった周防国(山口県)の人北村伝左衛門を招いて肥前伝磁器を製造。
共同出資者の脱退後も元立坊が経営を図りのちにはもっぱら陶器製造に従りました。
藩庁もまたこれを後援し1665年(寛文五)元立坊を焼物頭取役としました。
以来盛業を続けたが1699年(元禄一二)彼が没すると共に衰退し、廃窯せざるを得なくなりました。
器は焼締め物で主として日常雑器。
なお元立坊の創始したものにまた観音寺焼があります。
黒褐釉の素地に利休茶色の円形の砕裂文様の泡釉が掛かったものです。
(『薩摩焼総鑑』)