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鶴田 純久の章 お話

鹿苑寺
高さ:5.3~5.5cm
口径:14.6~14.7cm
高台外径:3.4cm
同高さ:0.6cm

『隔巽記』で名高い、金閣寺の鳳林和尚が、片桐石州から贈られ、爾来、同老師の遺愛品として、同寺重宝の一に加えられています。わが国に伝世する青磁茶碗としては、珍しい作調のもので、箱書き付けには、高麗とありますが、すでに石州所持の時から、高麗青磁として扱われていたらしいです。しかし、その胎釉などから見て、実は宋の、おそらく竜泉窯の青磁と見られるものです。
素地は灰白色の半磁胎、緻密に焼き締まって、高台畳つきの土見のところでは、黄かっ色に焦げていしる。その小さく引き締まった、恰好のよい高台から、伸び広がる、さわやかな曲面、どこか古格も備わって、あるいは北宋か、北宋に近いころの製ではないかと思われます。
総体、端正で品位のある形姿です。釉薬は、美しく透き通る淡青緑、滑沢で鮮明です。滋潤玉のごとしといわれる、半透明の、砧手にはなっていませんが、これは窯中、十分に溶融して、釉中の微細な気泡が、消え流れたものと解してよい。同じ宋の竜泉窯であっても、「満月」の茶碗とは、別趣の釉調です。このような透明の釉調は、高麗青磁に、しばしば見受けられるところで、この茶碗が、高麗とされたゆえんも、ここにあります。ただ、ここでは外側一部分に、厚い釉膜が垂れて、それが腰のところで、幕釉といわれる状態になっています。そこで釉色は当然濃くなり、灰緑色の深い色合いが、むらむらと漂い、そのあたりだけが、きわだって、何か雲が垂れこめたような景色になっています。これを雨雲に見立てますと、口辺から一本走る貫入に、いぶし銀の鍵が打たれているのは、竜でしょうか。「雨竜」と命銘されたのが、うなずけるのです。
このように、一瑕瑶も、景色として採り上げ、賞でてゆくのが、茶の数寄であり、茶人の一見識でした。青磁は、茶碗としては、天目に正座を譲ってはいますが、また、特に利休のころからは、唐茶碗は敬遠されがちでしたが、青磁そのものに対する根強い尊敬の念が、「馬蝗絆」といい、これといい、名碗として今日に伝え、温存せしめてきたのでした。
この茶碗は、箱蓋裏の書き付けにもあるように、寛文七年閏二月朔日、鳳林が大和の小泉に石州を訪ねた時に贈られたもので鳳林政日記『隔箕記』には、同年閏二月の条に、
四日・・:予去月廿九日赴和州之小泉、而到片桐石見守殿、従去歳、内々依被招予、而与風、下向申、昨晩令上洛也。(中略)
八日・・・・今朝急喫斎、而赴片桐石見守殿屋敷、石州昨晩上京也。赴小泉、種々馳走為礼、相赴也。1111.I(中略)
廿三日・…今日之茶者、片桐石見守殿於小泉、而被恵茶也。茶椀亦自石州殿、給茶椀也。
濃茶二服、而出也。……゛
などとあって、鳳林と石州との児懇の間柄が、よく推察できるのです。なお、箱書きの筆者慶彦は、鳳林の高弟で、鹿苑寺の十四世、中興の祖として、同寺では重要な住持です。「隔箕記」には、常に鳳林に侍していて、その愛育を受けていた記事が見えています。
付属品は、慶彦書き付けの桐箱以外に、見るべきものはありません。
(藤岡了一)

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