Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

高さ7.4cm
口径:11.1cm
高台外径:4.6cm
同高さ:2.4cm

中国の赤絵のもので、古くから茶碗として使われている例は、そう多くありません。また、あっても、それはたいてい明代の赤絵か、金欄手のはずです。だから、宋赤絵と呼ばれるこの茶碗のごときは、おそらく他に類を見ぬ稀品でしょう。おまけに、馬上杯という変わっだ姿をしており、まことに特異な存在といわねばなりません。
宋赤絵というのは、南宋ごろから磁州窯で作られた赤絵のことで、中国の赤絵の、そもそもの初めです。それは磁州窯がいつもやるように、素地を白化粧でおおい、本焼きをしたあと、赤絵をつけて低火度で焼きつけます。黄白の明るい地に、赤や緑の色がよくはえて、素朴な美しさをたたえたものです。
この茶碗もその例にもれず、同様の作ふうを示しています。土見がほとんどありませんので、よくはわかりませんが、磁州窯通有の灰白色の土を用い、これに自化粧を施しています。ただこの馬上杯という形は、轆轤(ろくろ)では一度に挽きにくいですので、たぶん碗体と脚部は、別々に作って接合したものと思う足のつけ根にぐるりと黒漆の繕いのあとが見えるのは、えてして弱くなりがちなこの接合部が、いつのころか折れたのを、直したものでしょう。掌のうちにすっぼりはいってしまうくらいの大きさですが、碗体にはきれいに轆轤(ろくろ)めがたちさわやかです。
白化粧は、全面にすっぽりとかけられていますが、足の内の奥のほうだけが残り、そこは上釉が土膚に、じかにかかって、濃いねずみ色を呈しています。脚部の広がったあたりは、ここをつまんで作業をする関係か、化粧がすれて薄くなり、さびた茶色の膚を見せます。土の鉄分の作用によるのでしょうが、あるいは、つまんだ指に鉄砂がついて移ったのかもしれません。一般に白化粧の土は質が弱いですので、よくしみがはいりやすいですが、この茶碗でも見込みの縁に二ヵ所、雨漏りようのしみが現れています。普通の宋赤絵の場合、上絵の赤絵だけで、下絵はないものですが、この茶碗では口縁部と碗の額に、鉄砂の繍を二本ずつめぐらしその上から水釉をかけて本焼きしています。つまりこの線は、下絵なのです。ことに口縁部にかかる上の線は、幅が広く、黒の上に、あかき&ざやかな柿色が発色して、ちょうど皮鯨のような景色になっています。
赤絵は内面になく、外側を二区に分かって、それぞれ簡略化した花弁紋を描いる。色はややくすんだ淡い赤と、所々かせぎみの緑の二色で、線の部分は赤で、まるい点の部分は緑で描きます。紋様も簡単なら、筆法も無造作で、宋赤絵らしい、おおらかな意匠といえましょう。内面は素紋ですが、窯中で降りかかったのか、小さい鉄斑が飛び散っています。内底の釉がすれて、ざらついているのは、長年の使用によるものでしょうか。
昔から宋赤絵と呼ばれてはいますものの、これが南宋代のものであるかどうか、判定はむずかしいです。宋赤絵の技法は、磁州窯では元から明初ぐらいまで、続いたらしいからです。初期に作られたものは、ほとんどが普通の碗形ですので、こういう馬上杯という異形は、やや時代の下るころの作ではないか、という気がします。ともかく、それが古渡りで日本に入ったことはたしかで、いつのころか鴻池家の有に帰し、室町初期の松鶴蒔絵手筥のうち、刷毛目三足茶碗、井戸小服茶碗などとともに仕込まれて、今日にいたっています。
(佐藤雅彦)

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