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鶴田 純久の章 お話

色絵応龍文陶板

Plaque with winged dragon design, enamelled ware
Diameter 25.0×24.2cm
径25.0×24.2cm 五脚
 東京国立博物館

色絵団龍文陶板

色絵 龍文 陶板
色絵 龍文 陶板

Tokyo National Museum
Plaque with rounded dragon design, enamelled ware
Diameter 25.8×24.7cm
径25.8×24.7cm 五脚
 これらの陶板は、製作年代を推定する確かな資料の少ない柿右衛門様式の作品のなかで、その下限を推定しうる貴重な資料であります。
 すなわち、延宝五年(1677) に建立されたと伝えられる京都西本願寺の転輪蔵内の腰壁にはめ込まれた磁製陶板と同様の作風のものであり、転輪蔵は西本願寺十四世の寂如上人が、天海僧正開板の経本一千三百二十三巻を収めた経蔵であります。延宝五年にこの種の陶板が、ここにはめ込むため調整されたか否かは判然としません。また建築構造上からこの種の陶板が、はたして腰張り用に作られたものか否かも判然としませんらしいが、一応延宝建立時に張りめぐらされたものと推定されています。陶板は二種類あって、方形の中央に円窓をあらわし、その内に羽根をもつ応龍をあらわしたものと、団龍文をあらわしたものとがあります。
 色絵応龍文陶板の陶板は、それらとまったく同様のものですから、延宝五年(1677) 頃の作風をうかがう資料の一つであります。四隅にあらわされまた牡丹唐草は、いわゆる柿右衛門様式のものでありますが、この陶板の裏面には「松浦郡有田皿山土肥源左衛門作之」 と染付で記入されていますことで、柿右衛門様式の上絵ものの磁胎に、土肥源左衛門の銘文が記されていますのは興味深い。この作者に関しては、詳しいことはわかりませんが、三代柿右衛門の墓碑の施主であり、柿右衛門家に伝わる硯屏風の青磁位牌の裏面に「土肥馬場一門」の記入があることから、酒井田家とは深いつながりのありました窯屋でありましたことが推定されています。しましたがって柿右衛門様式と呼ばれています作品には、厳密な意味では酒井田家を中心に、土肥、馬場家などがともにその業に従事していたもののあることがうかがわれる。陶板は裏面の中央と四隅に凸形の脚部を付け、その脚部には目釘の穴がつけられています。そして側面には二筋の線を彫って、目地をつけています。その作風から推して、今、転輪蔵にはめられていますような状態に使うべく作られたものではありませんように思われます。
 色絵団龍文陶板の陶板もまったく同様の作でありますが、裏面に銘はなく、表の縁文様も牡丹唐草ではなく、蛸唐草があらわされています。この文様の陶板は転輪蔵には使われていないので、当時の見本の一つでありましたか、あるいは他所に用いますために作られたものかは判然としません。

色絵団龍文陶板

色絵 龍文 陶板
色絵 龍文 陶板

Plaque with rounded dragon design, enamelled ware
Diameter 24.8×24.7cm Kurita Art Museum
径24.8×24.7cm 五脚
 栗田美術館
 器形左右約一センチずつ小さく、側面には目地の彫りをつけずに平らにしています。文様もかなり繊細な団龍文があらわされ、四隅の唐草もより整っています。その団龍文は、元禄頃の乳白手八角鉢の見込に描かれましたそれと似ていますので、その頃の作かと思われます。しかしこの種の陶板は、使用目的を考えれば同種のものが多数でなければならないが、今のところこれ一点しか見ていない。

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