桜井里焼 さくらいのさとやき

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鶴田 純久の章 お話

摂津国三島郡島本村大字桜井里(大阪府三島郡島本町桜井)の陶器。待宵山焼・楠公焼ともいう。同地の楠公父子宿陣の家柄の清水寛蔵が、遺蹟顕彰のため陶業に志し、京都の初代高橋道八について陶法を学び、1782年(天桜井明二)開窯したのが起こりである。
二代の木左衛門の時代に尾形周平が来窯、その指導で各種の茶器が焼かれ、待宵山焼と称した。また岡田久太も招かれて煎茶器にも器を出し、この時代に桜井里焼は大いに名声を挙げた。三代は太十郎で、楠公父子桜井の別れを描いた楠公焼を始めたが、明治維新の時代で陶業も次第に衰微し、四代増太郎に至って大正初年に廃窯された。「桜井里」の印銘がある。

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