陶工。1818年(文政元)若狭国(福井県)に生まれた。若年の頃から京都に出て釉薬商絵宗とと中村宗右衛門の家に世話になって絵具および釉薬を研究し、のちに錦光山について陶技を修めた。
舜山は錦光山から贈られた号である。1854年(安政元)肥前鍋島藩御用窯の大川内山(佐賀県伊万里市大川内町)に招かれ、その後鍋島藩の招にも応じて肥前にいること七年、その功績はみるべきものがあった。1860年(万延元)黒田侯に招かれて筑前国(福岡県)粕屋郡須恵に赴精巧で匋雅致のある磁器をつくって異彩を放った。命じられて地球儀をつくり、藩主と京都九条家に納めたことがある。1875年(明治八)に福岡県那珂郡野間(福岡市野間町)に移り、精良な磁器をつくって於野間舜山製と銘を付けた。
かしその努力も空しくしばらくして廃窯のやむなきに至り、その後は陶器窯となった。この時代の作品は数少ないが、野間舜山の名で今日珍玩されているという。1894年(同二七)九月三十日没、77歳。(『茶わん』四〇)