平賀源吾 ひらがげんご

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

讃岐国志度(香川県大川郡志度町)の陶工。源内の甥。宝暦年間(1751~164)源内は長崎で得交趾法の陶技をもっぱらこの源吾および五番屋伊助に伝えた。源吾がかなりの名手であったことは、源内の書翰の「扨々源吾上手に相成皆々肝を潰し申候(中略)源吾を長崎へ遣し焼せ唐阿蘭陀へ渡度と御役人へ御内談云々」などの文意によってもうかがわれる。屋島焼の三谷林叟は源吾の弟子。また源内焼に「舜民」「志度舜民」と銘したものは源吾の作と推定される。(『本朝陶器攷証』『日本陶瓷史』『讃岐陶磁器史稿』)※げんないやき

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