山田宗徧 やまだそうへん

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

茶人。宗旦四天王の一人。1627年(寛永四)生まれ。周学と称し、また四方庵・力囲斎・如箭子・如竿子の号がある。京都東本願寺末の長徳寺の嗣子であったが、18歳の時宗旦に入門し、26歳で還俗して母方の姓山田を名乗り、鳴滝村(右京区)三宝寺のかたわらに茶室を構えて茶に専念した時に宗旦から伝来の四方釜を、大徳寺の翠巌和尚からは四方庵の額を与えられた。1655年(明暦元)宗旦に代わり三河小笠原侯に茶をもって仕え、勤続四十三年に及んだ。1697年(元禄一〇)職を甥の宗引に譲り江戸本所(墨田区)に住んで四方庵と称し、多くの門弟を集めた。手工に長じ自作の竹花入・茶杓・茶碗などが多い。1708年(宝永五)四月二日没、82歳。著書に『茶道要録』『茶道便蒙抄』『茶道図絵』などがある。なお宗徧が二条の南押小路のあたりで手づくりの陶器を焼いたが、世間ではこれを宗徧の内焼と称したということである。

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