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鶴田 純久の章 お話

大名物。古瀬戸肩衝茶入。
旧名稲津肩衝、また松井肩衝、一名人生。
細川三斎が、かつて金森出雲守がその所領飛騨国(岐阜県)の茶入狩りをしたのに倣い、豊後国(大分県)中を探した時、家臣松井佐渡守の家大稲津忠兵衛がかつて越前国(福井県)で七十文で求めた茶入を三斎に献じました。
古田織部はこれを古瀬戸と鑑定し、天下一の肩衝だと三嘆したといいます。
もと松井の家来稲津の発見であることから松井肩衝または稲津肩衝の名かおります。
松井佐渡守が没した時稲津は殉死しました。
この茶入を七十文で買い出したことと、人生七十古来稀なりということに因んで別名人生ともいわれます。
山の井の名は沢庵和尚の歌「あさくともよしやまた汲む人もなし我に事たる山の井の水」によります。
この茶入はいわゆる大瀬戸型で、威風堂々、気宇宏大な茶入であります。
薄柿に黒胡麻釉が掛かり、なだれはないようです。
黄釉カー面に肩より粉が吹いたように掛かり、肩の黄に透きが多く、胴に帯われが多く、繕いは太い。
土に水釉が浸み出し、本糸切はこまかであります。
三斎ののちその養女、細川の分藩肥前宇土藩主細川丹後守行孝に移り、1778年(安永七)松平不昧に入りました。
(『松屋日記』『三斎物語』『玩貨名物記』『古名物記』『名物記』『古今名物類聚』『瀬戸陶器濫筋』『大正名器鑑』)

やまのいかたつき 山の井肩衝

古瀬戸肩衝茶入。
大名物。
沢庵和尚の「浅くともよしや又汲む人もあらじわれに事足る山の井の水」の詠歌に因んだ銘です。
また細川三斎の臣松井佐渡守康之が所持していたので「松井肩衝」とも呼ばれました。
『松屋会記』の由来によると、細川忠興が豊前一国の小壺狩りを行なったとき、付家老松井佐渡守康之が、家来の鉄砲衆稲津忠兵衛から得た小壺だといって忠興に示しました。
稲津忠兵衛は前任地の丹波亀山の一町家で妙粉を入れていた七十文で譲り受けたといいます。
忠興は古田織部にこの小壺の鑑識を求めたら天下一と称されましたので、蓋の仕覆を織部につくらせ、銘は購入値段の七十文と「人生七十古来稀なり」の故事とをかけて「人世肩衝」とも名付ひとよけられました。
形は「鎗の鞘肩衝」に似ていますが、一まわり大きいです。
背も高く、それでいて締まった感じで、腰筋も深くくっきりと現われています。
総体にいわゆる瀬戸釉の源流ともいうべき陰陽農をみせて、正面肩下あたりから一筋なだれ釉が腰筋の上にとどまって露となり置形をなしています。
裾釉は淡く消えて趣があり、古瀬戸茶入の一典型といえましょう。
【付属物】蓋―二、うち一枚は古織好 蓋箱 桐白木、書付松平不味筆 仕覆―五、茶地丸紋緞子・金なし錦・蝦夷錦・権大夫裂・和蘭木綿(図版右より)えぞ家仕覆―ふすべ革 内箱―桐白木、書付細川三斎筆 外箱桐白木、皮紐煮黒味錠前付
【伝来】松井佐渡守康之-細川三斎 細川丹後守 松平不昧
【寸法】 高さ:11.0 口径:3.7 胴径:6.7 底径:3.5 重さ:173

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