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鶴田 純久の章 お話

漢作 子爵 松平賴和氏藏

名稱
此茶入元古田織部所持なれば、彼が之を獲たる地名を以て稱せしか、或は其以前より此稱ありしか、今其詳細を知る能はず。

寸法
高 貳寸九分五厘
胴徑 貳寸参分
口徑 壹寸四分
底徑 壹寸参分
肩幅 四分又四分五厘
重量 参拾六匁八分

附屬物
一蓋 三枚
本蓋 窠あり
替蓋 遠州好 窠なし
同 石舟好 窠あり
一御物袋 白羽二重 緒つがり白
一袋 三つ
卍字模様唐織 裏海氣 緒つがり紫
雲鶴純子 裏萌黄海氣 緒つがり紫
唐花唐草純子 裏やつれ 緒つがり紫
一袋箱 桐 大小二個
一挽家 黑塗
一箱 桐 書付 張紙
大坂肩衝 御茶入

雜記
大坂肩衝 元古田織部所持。承應三年十二月御分物八種の内右大殿様(徳川頼純)御官位前、従故大納言様(徳川頼宣)被遣候。 (西條松平家文書)

賴宜君、御次男左京大夫頼純君へ天下の名物大坂肩衝、寧一山の一行ものゝ御掛物、其の外武具には竹中が一ノ谷の甲を始めて、名物ども多く御譲りなされ候、渡邊若狭守直綱申上げ候は、権現様より遺せられ候天下の名物どもは、御嫡家に御議なさるべき事と、世上にても申し、尤の批判と存じ候、御庶子に此御重賓御持、武具は格別茶の湯道具は御出しなさるべき御客衆も無御座候と申上ぐる。頼宜君御笑ひなされ、左京小身なれば以来中納言殿へ金銀合力無心申すにて可有之候、此時唯所望もなりがたし、此の名物の道具を質物に入れ金銀をかり候はば、總領の家へもごり左京手まへのたしになるべくとおもひ不相應の道具なれどもゆづり候と仰せられ、御わらひなされ候よし、是等も御尤なる御事なり。 (南龍言行錄)

傳來
元古田織部所持にして、紀伊藩祖徳川頼宜に傳はり、承應三年十二月瀬宜より其次男頼純に議興せり、頼純は寛文十年十二月伊豫國西條三萬石に封ぜられ、西條藩祖となる。西條家文書及び南龍言行録に、大坂肩衝と同時に寧一山の墨蹟、竹中半兵衛着用一谷の兜を賜ふとあり。

實見記
大正八年十月二十三日東京市麻布區飯倉片町松平頼和子邸に於て實見す。
口縁拈り返し深く、甑廻りに二段筋を繞らし、總體黒飴釉紫釉と相交錯し、肩先より黒飴大ナダレ三條連なりたると、別に一筋なだれたるとあり、釉溜厚くして其中に少しく青瑠璃色を含めり、胴中に沈筋一線繞り此邊一帶柿色の點々散在し、手取軽く、口縁より肩にかけて三角形のヒッキあり、裾以下鐵氣色の土を見せ、箆目作行極めて古雅なり、底絲切稍荒く不規則にして起點にギザぎざと筐作あり、又置形と正反面に當りて肩より鍵の手形に長一寸許なる柿色の景色あり、内部口縁釉掛り、以下轆轤繞る。總體館目多く裾の邊高く土を見て 處々景色に富みたる茶入なり。

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