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京極茄子

京極茄子(きょうごくなすび)

漢作(唐物)大名物 一名 織田茄子 侯爵 徳川頼倫氏 蔵

名称
『津田宗及茶湯日記』の元亀2年(1571年)における道叱(どうしつ)の茶会の条に「京極茄子」の名が見える。おそらく元々は京極家が所持していたものであろう。また、「織田茄子」とも呼ばれるのは、織田三五郎(有楽斎の息子)が所持していたことにちなむものである。

寸法
高さ:2寸9厘(約 6.3 cm)
胴径:2寸3分(約 7.0 cm)
口径:9分5厘(約 2.9 cm)
底径:1寸(約 3.0 cm)
甑(こしき)の高さ:2分1厘(約 0.6 cm)
重量:17匁7分(約 66 g)

附属物
蓋:2枚
うち1枚は古田織部好みの窓あり、1枚は窓なし。
織部好みの蓋は袋箱の懸子(かけご:箱の中の内箱)に入っている。
御物袋:白ちりめん、緒のつがりは白。
袋:2つ
鉄色地 雲鶴卍字模様緞子(どんす)、裏は玉虫色、緒のつがりは紫。
鉄色地 梅鉢唐草模様緞子、裏は玉虫色、緒のつがりは茶色。
袋箱:(雲鶴緞子を入れる)
内箱:桐 白木 墨の書付
「京極茄子袋」
外箱:桐 白木 金粉の字形
「京極茄」
袋箱:(梅鉢緞子袋と織部好みの蓋を入れる)
内箱:桐 白木 墨の書付
「京極茄子蓋袋」
外箱:黒塗り 金粉の字形
「京極茄子蓋袋」
挽家(ひきや):鉄刀木(たがやさん)蓋に金粉の字形
「京極茄」
袋:段替唐織 裏はさや形菱花緞子 緒のつがりは紫
内箱:桐 白木
「京極茄」
外箱:黒塗り 金粉の字形

雑記
京極茄子

茄子の茶入の上部(頭)に、白い星(斑点)があるものを「露」という。露があるものを上等とする。京極茄子にも露があるが、それは真ん中にあるとのことである。
宗悟茄子、北野茄子、醍醐茄子、豊後茄子、澪標茄子、京極茄子、紹鴎茄子、黄茄子。
右は茄子茶入の名物である。
(『茶道正伝集』より)

茄子茶入に凹んだ座(窪み)があり、この星(斑点)を「露」と申すのである。露があるものを上等とし、京極茄子には露がある。
(『嵎庵文庫本 喫茶活法奥儀集』より)

茄子の茶入に白い星があるものがあり、その星を「露」と申すのである。京極茄子には露がある。露があるものは稀であるため、これを上等とするのである。釉薬のなだれの先(垂れた先)のことも「露先」と申すのである。
(『宮内省本 喫茶活法奥儀集』より)

世間に知られた茄子の茶入の名物のおおよそ。
北野茄子、醍醐茄子、豊後茄子、宗娯茄子、京極茄子(ただし真ん中に露があるとのこと)、紹鴎茄子、みをつくし茄子、兵庫茄子。
(『茶事秘録』より)

元亀2年(1571年)4月、道叱の所にて。
「京極なすび」を拝見した。これは茶匠の半田紹和から伝わったものである。
形は格別によく、丸みがあり、大きさは九十九髪茄子などよりは小さい。釉薬の色は九十九髪に似て見事であり、かすれて剥げたように見える。ぬめぬめとした光沢は全くない。土は浅黄色で、底の糸切りは朱色などではない。底の造りは少し押し込んだようであり、格別美しい。口造りがあり、漆をべったりとつけたような土のなごやかさ(滑らかさ)があって、手が滑るように見え、格別きれいに(箱に)入っている。
(『津田宗及茶湯日記』より)

天正11年(1583年)7月11日昼、にわかの茶会。
紹鴎茄子と松本茄子が出され、すぐに京極茄子と並べられた。
京極茄子を再び拝見したが、前に見た時よりも小ぶりの壺であった。形もよく、口造りも(特に)良いわけではないが、土の味わいが格別面白い。松本茄子よりは少し大きめに見えた。一服の茶を入れるほどの容量(ごもち)の差はないだろう。肩に膨らみがあり、帯(胴の筋)はないようである。いずれにせよ、以前よりも過分にこの壺をよく拝見した。しかしながら、私の好み(すき)には入らない。
(『津田宗及茶湯日記』より)

天正11年(1583年)7月14日朝。播州の赤橋の善海が京極茄子を進上したとのことで、すぐに拝見した。
(『津田宗及茶湯日記』より)

京極茄子は、御本所様(足利義昭など)にある。
(『山上宗二之記』および『茶器名物集』より)

京極茄子は、散在している(行方不明・流出している)ものの一つ。
(『東山御物内別帳』より)

茄子 唐物小壺 大名物 織田三五郎。
(『古今名物類聚』より)

京極なすび 唐物 織田三五郎。
(『伏見屋手控名物記』より)

延宝6年(1678年)11月1日。甲府中将殿の家督相続の御礼として、御太刀(銘:兼平、代金七枚)、白銀五百枚、季節の衣服二十を進上した。甲府宰相殿の遺物として、御刀(銘:備前守家、代金五十五枚)、京極茄子の御茶入、内側が赤い盆、御葉茶壺の「鶉(うずら)」を差し上げられた。
(『玉露叢』より)

京極茄子は、徳川家康公が日頃愛用していたものであり、紀伊侯が拝領したものである。
(『紀州家文書』より)

弘化4年(1847年)丁未の10月22日、真原にて。紀伊大納言の茶事。
初座の床の間に飾る
茶入:名物 京極茄子
袋は正法寺緞子。盆は青貝の菱形。
後座
掛物:有栖川熾仁親王の懐紙(和歌「春秋を知らて年ふる吾身かな まつと鶴さの年をかそへて」)
花入:如心斎の一重切 竹花入 銘「菊川」。花は小ぶし(辛夷)。
茶碗:井戸茶碗。箱に啐啄斎(そったくさい)の書付。
(『木全宗儀氏本 茶事記』より)

伝来
元は足利幕府の茶匠である半田紹和が所持しており、そこから石橋道叱へ伝わった。『茶人伝』には「石橋道叱は堺に住み、良叱ともいい、天王寺屋と号し、織田信長に茶を献上した」とある。『津田宗及茶湯日記』の元亀2年4月の道叱の茶会に、この茶入の記事がある。その後、播州(兵庫県)の人物である善海へと伝わり、天正11年(1583年)7月14日に善海がこれを豊臣秀吉に献上した。後に織田有楽斎、その子である三五郎可休へと伝わり、その後は徳川家康の所有となった。後年、幕府がこれを甲府宰相の徳川綱重に賜り、延宝6年(1678年)11月1日、綱重の子である甲府中将の徳川綱豊が家督を継ぐ御礼の際に、父・綱重の遺物としてこれを幕府に献上し、その後、紀州藩主がこれを拝領した。

実見記
大正8年(1919年)10月9日、東京市麻布区飯倉町の徳川頼倫侯爵邸において実見した。
唐物の茄子形茶入である。口は小さく、玉縁(口縁部)の括り返し(反り)は深く、少し漆による修繕がある。甑(こしき)の際(根本)に青白い蛇蝎(だかつ)釉が筋のように巡っており、全体としては飴色に梨皮色(黄色がかった茶色)を加味したような下掛けの釉薬の中に、青白い釉薬がムラムラと雲のようにたなびいて胴の中央を横切っている様子は、たいへん「残月」あるいは「国司茄子」の釉薬の質に似ている。腰の周りの沈んだ筋が一部途切れている所があり、また釉薬のために覆い隠されている所もある。おおむね釉薬の掛かりは薄く、置形(景色)はあの沈んだ筋に掛かって土の境目まで釉薬が抜けた(釉ヌケ)細長い輪の形を成している。裾から下は朱泥色の土を見せ、糸切り(底の切り離し痕)の筋の太さは不揃いであるが、鮮明であり他に類を見ないほど精巧である。内部は口縁の下まで釉薬が掛かっている。その形状を茜屋茄子と比較すると、やや小ぶりで一段と優美であるように思われる。腰に青白い釉薬の直径3分(約 0.9 cm)ほどの点が一つあり、『喫茶活法奥儀集』に「茄子の茶入に白い星があるものがあり、その星を露と申すのである。京極茄子には露がある」というのはすなわちこれのことである。また、裾の周りに釉薬が抜けた所が1ヶ所ある。上品であり、かつ精巧な作りで景色に富んだ茶入である。

【原文】

京極茄子

漢作 大名物 一名 織田茄子 侯爵 德川賴倫氏 藏

名稱
津田宗及茶湯日記元龜二年道叱茶會の條に京極茄子の名見ゆ、蓋し元京極家所持なりしならん又織田茄子とも云ふは織田三五郎(有樂齋の男)が所持せしに因るなり。

寸法
高 貳寸九厘
胴徑 貳寸參分
口徑 九分五厘
底徑 壹寸
甑高 貳分壹厘
重量 拾七匁七分

附屬物
一蓋 二枚
內一枚 古織好窻あり 一枚窻なし
古織好の蓋は袋箱懸子に入る
一御物袋 白ちりめん 緒つがり白
一袋 二つ
鐵色地雲鶴卍字模樣純子 裏玉虫 緒つがり紫
鐵色地梅鉢唐草模樣純子 裏玉虫 緒つがり茶
一袋箱 (雲鶴純子を入る)
內箱 桐 白木 墨書付
京極茄子袋
外箱 桐 白木 金粉字形
京極茄
一袋箱 (梅鉢純子袋と古織好蓋とを入る)
內箱 桐 白木 墨書付
京極茄子蓋袋
外箱 黑塗 金粉字形
京極茄子蓋袋
一挽家 鐵刀木 蓋に金粉字形
京極茄
袋 段替唐織 裏さや形菱花純子 緒つがり紫
一內箱 桐 白木
京極茄
一外箱 黑塗 金粉字形

雜記
京極茄子

茄子の茶入の頭に、白き星々のあるを露といふなり、露のあるを上とす。
京極茄子にも露あり、但し眞中にありと也。
宗悟茄子 北野茄子 醍醐茄子 豐後茄子 澪標茄子
京極茄子 紹鷗茄子 黃茄子
右茄子の名物なり。
(茶道正傳集)

茄子に凹座あり、此ほしを露と申す也、露のあるを上とす京極茄子に露あり。
(嵎庵文庫本喫茶活法奧儀集)

なすびの茶入に白き星のあるあり、其星を露と申すなり、京極茄子に露あり、露のあるは稀なる故に、是を上とするなり、藥のなだれのさきも、露さきを申すなり。
(宮內省本喫茶活法奧儀集)

茄子の茶入名物世に聞へし大槩
北野茄子 醍醐茄子 豐後茄子 宗娛茄子
京極茄子(但し正中に露ありとぞ)紹鷗茄子 みをつくし茄子 兵庫茄子
(茶事祕錄)

元龜二年四月 道叱方にて
京極なすび拜見申候是は茶匠半田紹和より來候。
なり比一段よく候、なりは丸みあり、ころは九十九髮(茄子)などよりはちいさく候、藥色つくもに相似見事にて候、かすはげたるやうに相見え申候、ぬめ\/としたる事は一向無之候、土淺黃色底いときり朱などにもな
く候、底造少しおしこみたるやうか、一段うつくしく候、口つくりあり、うるしをべたとつけ候土なごへのてかすゆかす候と見え申候て、一段きれいに御入候。
(津田宗及茶湯日記)

天正十一年七月十一日晝、 俄ノ也
紹鷗茄子、松本茄子出申候、卽京極茄子と御並べ申候。
京極茄子再拜見候、前に見申したるより、壺小形也、なりもよし、口作りもよくもなし、土の心一段面白く候、松本茄子より少し大かたに拜見候、一ふくほどごもちがひあるまじく候、肩にふくらあり、帶なく候か何も前より過分に壺を能見申候、乍去すきには入らす候。
(津田宗及茶湯日記)

天正十一年七月十四日朝 京極茄子を播州のアカ橋の善海進上仕也、卽拜見申候。
(津田宗及茶湯日記)

京極茄子 御本所樣にあり。
(山上宗二之記及び茶器名物集)

京極茄子 散在の分。
(東山御物內別帳)

茄子 唐物小壺 大名物 織田三五郎。
(古今名物類聚)

京極なすび 唐物 織田三五郎。
(伏見屋手控名物記)

延寶六年十一月朔日 甲府中將殿繼目の御禮として、御太刀(兼平、代金七枚)、白銀五百枚、時服二十を進上也甲府宰相殿遺物として、御刀(備前守家、代金五十五枚)、京極茄子の御茶入、內赤の盆、御葉茶壺、鶉を差上らる。
(玉露叢)

京極茄子 德川家康公の御常用にして紀伊侯の拜領せるものなり。
(紀州家文書)

弘化四年丁未十月廿二日於眞原 紀伊大納言茶事初床に飾
一茶入 名物京極茄子
袋 正法寺純子 盆青貝ひし
後座
一掛物 有栖川熾仁親王懷紙(春秋を知らて年ふる吾身かな まつと鶴さの年をかそへて)
一花入 如心齋一重切銘菊川 花小ぶし
一茶碗 井戸 箱啐啄書付
(木全宗儀氏本茶事記)

傳來
元足利幕府の茶匠半田紹和所持にして、石橋道叱に傳ふ、茶人傳に「石橋道叱は堺住又良叱ともいひ天王寺屋と號し、信長に茶を獻す」とあり。津田宗及茶湯日記元龜二年四月道叱茶會に、此茶入の記事あり、其後播州
の人善海に傳はり、天正十一年七月十四日善海之を秀吉に獻じ、後織田有樂齋其子三五郎可休に傳へ、其後德川家康の有に歸し、後年幕府之を甲府宰相綱重に賜ひ、延寶六年十一月朔日、綱重の子甲府中將綱豐襲封御禮の際、父綱重の遺物として之を幕府に獻じ、其後紀州侯之を拜領せり。

實見記
大正八年十月九日東京市麻布區飯倉町德川賴倫侯邸に於て實見す。
唐物茄子形茶入、口小さく玉緣括り返し深く少しく漆繕ひあり、甑際に青白き蛇蝎釉筋の如く廻り、總體飴色に梨皮色を加味したる地釉中に青白き釉ムラ\/と雲の如く靉靆きて胴中を橫切りたる處、頗る殘月若くは國司茄子の釉質に類せり。腰廻りの沈筋一部途切れたる所あり、又釉の爲めに蔽はれたる所あり、大體釉かゝり薄く、置形は彼の沈筋にかゝりて土際まで釉ヌケ細長き輪狀を成す、裾以下朱泥色の土を見せ、絲切の筋細大不同なれども、鮮明にして精巧無比なり。內部口緣下まで釉掛り、其形狀茜屋茄子に比すれば稍小さくして一段優美なるが如し、腰に青白釉の徑三分許りの一點あり、喫茶活法奧儀集に「茄子の茶入に白き星のあるあり其星を露と申すなり京極茄子に露あり」と云ふは卽ち是なり。又裾廻りに釉ヌケ一ヶ所あり、上品且つ精作にして景色に富
みたる茶入なり。

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