


千宗旦 茶杓 共筒 銘松風
中興名物 今日光云来
略伝
千少庵の子、 利休の孫、字は元伯・元淑ともいう。咄々斎・隠翁・寒雲と号す。
天正十九(一五九一) 年利休処刑の時は十四歳であった。一家の難を避け大徳寺に籠り、春屋宗園に就いて参禅、喝食となった。
宗旦は喝食時代の修業が基礎となり、清巖和尚にも参し、茶禅一味を体して、祖父利休の失脚に反省しつつ、利休の侘びの境地を特に強調して、幽閑清寂の茶旨を説いた。いわゆる乞食宗旦とよばれるほどの簡素な生活に徹した。
正保五年(1648)七十一歳で家を子の江岑宗左に譲り、裏に一畳台目の庵を営んだのが今日庵である。万治元年 (1658)十二月十九日没、八十一歳
茶杓
ごまで通幅ひろく、厚手である。櫂先が左肩さがりなのは、宗旦茶杓の見どころとなっている。
筒
草筒のしのぎ削り、花押を口印に押す。このしのぎ削り筒は少庵にはじまり、千家の伝統となった。「花松風 不審」
付属物
内箱 黒一閑張
書付 常宗室筆「宗旦作松風与銘在村左ニ有」
中箱 桐白木
同蓋裏 書付 覚々斎宗左(原叟)筆「宗旦作伝来松風村雨二本之内左(花押)」竺叟宗乾筆「宗旦松風茶杓 最斎」
外箱 溜塗 銀粉字形書付 玄々斎宗左筆
同蓋裏 書付 長田新月筆
極札箱 書付 円能斎宗室筆
譲状 玄々斎宗室筆(天保七年十二月二十一日付)
追記
見どころがない凡作であるが、そこに宗旦の精神が感じられる。松風村雨の銘は謡曲から来ている。元来、宗旦の茶杓銘は謡曲か禅語のものが多い。二本入の内「村雨」は江戸にて焼失した(中興名物記)。
所載
中興名物記(宗旦茶杓 銘松風 千宗左 <室力〉 是は松風村雨二本の内松風は宗左〈室力〉伝来、村雨は古宗室<左>伝来にて先に江戸にて類焼す、此茶杓宗左〈室カ〉に参る)
茶杓三百選
寸法
茶杓
長サ20.0cm
幅0.6―1.6cm
厚サ0.4cm
筒
長サ22.7cm
径2.4cm
所蔵者
大阪 藤田美術館



