

唐物 中興名物 伯爵 酒井忠道氏藏
名稱
木下勝俊の所持せし丸壺なれば此名ありといふ。勝俊は太閤の室北政所の兄杉原家定の子なり幼より秀吉に仕へ、長じて播州龍野の城主となり、後若狹に移り九万石を領す慶長五年家康の東征するや、伏見城を守る、戰終りて後、所領を棄て東山に隱れ、晚年西山に移る、長嘯子又天哉翁と號し、和歌を嗜み風月を友とし慶安二年六月十五日卒す、年八十一。歌集を舉白集と云ふ。長嘯子なくして嗣絶え、其弟利房備中足守二万五千石を領し、今の子爵木下利立氏の祖たら、利房の弟延俊は豊後日出二万五千石を領して、今の子爵木下俊哲氏の祖たり、之を木下の二家と爲す。
寸法
高 貳寸貳分四厘
胴徑 貳寸貳分
口徑 壹寸貳厘
底徑 壹寸
重量 貳拾貳匁四分
附屬物
一蓋 一枚 窠なし。
(備考) 土屋藏帳に蓋七枚内休味作一枚立佐作一枚、相坂丸壺蓋寫
五枚とあれど、今は唯一枚あるのみ。
一御物袋 紫縮緬 緒つがり茶
一袋 四ッ
笹蔓純子 裏海氣 緒つがり紫
木綿廣東 裏海氣 緒つがり紫
萌黃獅子純子 裏海氣 緒つがり紫
卍字純子 裏海氣 緒つがり遠州茶
外に解袋 四ッあり
一袋箱 桐 白木
木下丸壺
袋
一挽家 黑塗 中繼面取
木下 蓋書付金粉
袋 いちご切 裏五色縞 緒つがり遠州茶
一箱 桐 白木
木下 丸壺 書付小堀十左衛門
一添盆 堆朱端彫 内赤底黑 楊茂作
一添盆箱
表
内赤盆 楊茂造
裏
楊茂作
一添書付 三通
木下切、元加賀之宮越何某、夫より菊羅屋に有之、去四十年前谷松屋金四十兩にて取入候由、本家の木下は燒失して無是類物は隨分有之候得共此位のは有兼候由。
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木下切片身和久田切批
長樂寺とま袋
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木下家に瀨戶丸壺二つ所持有之を、遠州達て所望にて可貰請候由。右は相坂丸壺之由明中相坂を先年不昧殿一覽望に候はぶ手に入可申處、止められ候、後日宗長に咄には、相坂被見候に、手にも入申儀之處何分にも分かねおれ程に遠州秘藏之品の處何分にも此方には不得見故に哉、分兼候故、石黑丸壺之方まさりも可申哉と思ひ、先づ止被申候由、其後石黑を被見候而、石黑よりははるかに相坂まさり申候、併何分にも相坂はあれ程に遠州秘臓之儀が分りかね候と咄被申候些長右は宗長咄、宗中に致候處元來木下家に二ッ有之を、一ッ遠州達てもらひ候事故、多分は次の方木下家より遣申べく候故、亦相坂よりは木下丸壺まさり可申と、宗中申候事。
雜記
木下丸壺 土屋相州。高二寸一分四厘胴二寸二分口一寸二厘底一寸。蓋一枚、袋四ッ笹つるどんす 裏海氣 緒つがり紫、木綿かんとう 同上、萌黃獅子どんす同上、万字どんす緒つがり遠州菜挽家黑塗中繼面取、金粉にて木下と書付、袋いちご切 裏五色しま 緒つがり遠州茶。箱桐白木。(茶入圖あり) (名物記)
木下丸壺 唐物 (寸法附屬物の記事、名物記に同じ) (古今名物類聚拾遺之部)
木下丸壺(古瀨戶の部に入る)口一寸、高二寸一分半胴二寸二分、底一寸半。袋木綿かんとう、菱卍字純子、さ~つる、獅子どんす。挽家黑塗箱桐十左衛門、袋まかい織。蓋七枚、休味一、立佐一、相坂五、かけめ二十文目六分(茶入圖あり) (麟鳳贈龍)
木下丸壺 からもの瀨戶藥見事。 (箒庵文庫甲第九號)
木下丸壺 唐物 蓋七、休味一立佐一、相坂寫五。袋四ッ菱万字どんす、木綿かんこう、笹蔓どんす、萠黃獅子紋どんす。挽家黑塗、袋まかい織。上箱桐書付小堀備中守殿。 (土屋藏帳)
享保十年巳二月廿日 相州土屋相模守直壽公 茶會
客 古筆 谷村 野村
一掛物 一休一行物
一茶入 木下丸壺 遠州所持
盆 堆朱 張成作 榮川東房
一茶碗 瀨戶 遠州所持
一茶入 銅 薄板丸
(水全宗儀氏本茶會道具附)
傳來
元木下長嘯子所持にして、其後同家に傳はりしを、小堀遠州懇望せしが、當時丸壺の茶入二ッありしを以て、木下を與へず、他の相坂丸壺を讓りたりといふ。而して此木下丸壺は、其後土屋相模守に傳はり土屋家道具賣拂の際、若州酒井家の有と爲れう。
實見記
大正八年四月二十八日東京市牛込區矢來町酒井忠道伯邸に於て實見す。
唐物丸壺にして、紫色互えくしく、黑釉光澤物を鑑すべく、一面の景色判然として其綺麗さ言はん方なく、全部一點の疵を見ず、飯際に黑沈筋一本を繞らし、置形模樣幅廣けれども、裾近くに至りて細き一筋ナダレとなり、露先盆付に至りて止まる、黑釉八重襷の如く掛りて、景色麗しく、胴に茶入半分强の黑筋を繞らし、裾以下朱泥色土を見せて、土際に一點小高き煎餅膨れあら、又鮮明なる糸切内に小さきヒッッキ數々あり、ロ作拈り返し淺き方にて、形狀の優美釉色の鮮麗言語に絶し、其完全無缺に至うては唐物丸壺中稀に見る所なり。




