





漱芳(そうほう)
唐物 鶴の子 男爵 住友吉左衛門氏 蔵
名称
朱舜水(しゅしゅんすい)による銘であり、その文章に「多くの草木の香りは花や実にあるが、(中略)すすぐ間にあふれ出し、その後の清らかな香りと甘みは長く尽きない」などとある。詳しくは附属物の記事を参照のこと。
朱舜水は名を之瑜、字を魯嶼といい、中国の浙江省余姚県の人である。万暦28年(1600年)8月12日に生まれ、早くから明朝に仕えて恩貢生に推挙された。のちに重職を授けられそうになったが辞退して応じず、明が滅びようとした際には、義を重んじて清の粟を食べる(清朝に仕える)ことを恥とした。万治2年(1659年)に逃れて長崎へ渡来し、寛文4年(1664年)に水戸藩主・徳川光圀(義公)の招きに応じ、『大日本史』の編纂を始め、水戸藩の文化に大いに貢献した。天和2年(1682年)4月17日に83歳で世を去り、常陸国の瑞龍山に葬られた。光圀は彼に「文恭」と諡(おくりな)し、自らその墓に「明徴君子朱子之墓」と記した。
寸法
高さ 約7.0センチ (2寸3分2厘)
胴径 約5.0センチ (1寸6分5厘)または 約4.8センチ (1寸6分)
口径 約2.4センチ (8分)
底径 約2.7センチ (9分)
甑(こしき)の高さ 約0.5センチ (1分8厘)
肩幅 約0.3センチ (1分)または 約0.4センチ (1分3厘)
重量 約46.9グラム (12匁5分)
附属物
・蓋 1枚 窠(す:模様)あり
・御物袋 白縮緬(ちりめん)結び紐は茶色
・袋 3つ
古金襴と朱印切の腰替り(裏地は紋入りの壁代、結び紐は紫)古袋
花輪違純子(裏地は壁代、結び紐は黄)古袋
和久田裂(裏地は紋入りの壁代、結び紐は紫)新規 住友男爵好み
・袋箱 桐 白木 書付は鼎山公(徳川斉脩)
表書き 「漱芳」
裏書き 「古錦襴 朱印切 純子 花輪違 腰替 花押」
(備考)鼎山公とは水戸藩第8代藩主の徳川斉脩のことで、哀公と諡された。文政12年(1829年)10月4日に33歳で没した。
・挽家(茶入を納める筒)花櫚(かりん)の斑入り
蓋に金粉の文字 書付は朱之瑜(朱舜水)
「明朱之瑜(印)」
「漱芳」
・外箱 桐 白木
袋 菖蒲革 結び紐は紫
・内箱 桐 白木 書付は鼎山公
「漱芳」「茶入」「漱芳」
・添えられた巻物 1巻
「漱芳」
時は己未(延宝7年・1679年)の晩夏16日
80歳の老翁
明の舜水 朱之瑜(印)
多くの草木の香りは花や実にあるが、茶だけは葉の芽にある。花にあるものは花が散れば香りが落ち、実にあるものは果実がなくなれば甘みも変わる。しかし茶だけは龍団(茶の塊)を切り分け、清らかな水で煮出し、玉の椀に捧げ持ち、白磁の器で運ばれれば、まず香りが鼻先に届き、唇や歯に親しみ、喉や舌を通り、心身に染み渡る。口をすすぐ間にも旨味があふれ出し、その清らかな香りと甘みは長く尽きない。精神を爽やかにし、目を明らかにするものであり、決してありふれた草木が及ぶところではない。だからこそ風雅な文化人たちは、これを飲むことを酒以上に愛し、「七椀飲むこともできない」と歌に詠んだほどの深い味わいがあるのだ。
(延宝7年)
己未の晩夏 明の舜水 朱之瑜(印)
返書(付録)
手紙にて、この瓶(茶入)の出所と用途についてお尋ねがありました。
一、製法 この瓶は唐(中国)の窯で焼かれたものです。
一、用途
宮餅、龍涎餅、上清丸、香茶、バラの花びら、ジャスミン、蘭、梅の花びらなどを貯蔵するために用います。あるいは麝香や沈香を煎じたものを入れる者がいますが、識者からは笑われる行為です。もし龍脳香を入れるなら、鶏の羽と相思子(小豆の一種)を一緒に瓶の中に入れておくべきで、そうすれば長く経っても減りません。
近頃日本で作られるものは中国製と変わらず外見はとても似ていますが、わずかな隙間があり、土の性質が柔らかくないため、熱湯を注ぐと割れてしまいます。この点が異なるところです。
80歳の老翁 朱之瑜(印)
そもそも器は古くからの製法に従い、尋常ではなく唯一無二である。伏羲が桐を削って琴を作り、黄帝が金属を鋳造して鼎(かなえ)を作ったのと同じように、さまざまな宝器へと受け継がれてきた。古の様式に則ったこの器に勝るものは今日存在しない。ここに秘蔵の珍しく美しい「漱芳」を見ると、まさに泉石の盟友、文房の益友というべきであろう。
「美しい玉の質よ、金玉の音色よ。緑の波のように青く澄み、両脇から清らかな風が吹く」
東皐越 杜多 書(印)
(備考)右の原文は隷書体であったため、現在読みやすくするために楷書に改め、訓点(返り点など)を施した。
中山主馬様へ 桑山修理亮より
昨日は過分なお尋ねをいただき、早々にご対応いただき恐縮です。さて、茶入をよく拝見いたしました。間違いなく唐物であると存じます。手触りも良く、一段と見事な茶入であると思います。茶入はこの者にお返しいたします。以上。
6月5日 封 印(印)
我が水戸藩の家臣、谷氏某が所蔵する茶入(茶瓶)がある。そこには舜水先生や東皐越師が題した銘と茶入の記録があり、さらに桑山玉川(修理亮)の鑑定書も添えられ、代々伝えられて珍重されてきた。文政甲申(文政7年・1824年)の年、これを藩主の公(鼎山公)に献上した。公はこれを見て喜び、その古い伝来を損なうことなく新しく表装して一巻の巻物とし、私(老拙)にその事の顛末を記すよう命じられた。
私が思うに、世の人が宝とするものは、海底深くにあり得るのが難しい珊瑚のようなものである。そうしたものは、身分が高く裕福な家であればたびたび手に入れて秘蔵できるかもしれない。しかし、この茶入や巻物のようなものに至っては、もう一度手に入れようと思っても不可能である。これは国と引き換えるほどの価値がある名玉(連城の璧)に等しい。公がこれを賞賛されるのも当然のことである。この公とは、鼎山 源公(徳川斉脩)のことである。
大方老人 謹んで書す。時に年齢70歳である。(印)
(備考)大方老人とは、水戸藩第5代藩主・宗翰(諡は良公)の六男であり、諱を頼救、字を子徳、号を謙山という。支流の大炊頭・頼多の養子となって宍戸家を継ぎ、文化13年(1816年)5月4日に75歳で没した。
雑記
漱芳 得斎 谷重代の求めに応じて抹茶壺に名付けたもの
多くの草木の香りは花や実にあるが、茶だけは葉の芽にある。花にあるものは花が散れば香りが落ち、実にあるものは果実がなくなれば甘みも変わる。(以下省略。内容は前の附属物巻物の通り)
(『朱舜水先生文集』巻21より)
大正10年(1921年)11月24日、京都鹿ヶ谷の別荘「漱芳庵」での茶会 亭主:住友春翠
客:馬越化生、藤田江雪、高橋箒庵、野崎幻庵、山澄力太郎
・掛物 藤原定家 二首懐紙
山家擣衣(さんかとうい)「来ぬ人をなお松の戸にたきすさぶ 柴々秋の衣をぞ打つ」
関路暁霧(せきろぎょうむ)「越えわぶる木の下闇の霧の間に 有明知らぬ足柄の山」
・花入 宗旦作一重切 銘「しぐれ」 花:白椿、谷桑
・茶入 唐物 朱舜水銘「漱芳」 袋:和久田
・茶碗 中興名物 東高麗 遠州の箱書付あり
・茶杓 松浦鎮信作 銘「サカヒ」
(『辛大正茶道記』より)
伝来
もとは中山主馬が所持しており、水戸藩士の一得斎・谷重代へと伝わり、延宝7年(1679年)に朱舜水が銘を付けて「漱芳」と名付けた。文政7年(1824年)に谷家から水戸藩主の鼎山公(徳川斉脩)に献上され、それ以来水戸徳川家の宝物となっていたが、大正9年(1920年)10月の水戸家蔵器の入札売却の際、現在の所持者(住友吉左衛門)が落札した。
実見記(実際に見た記録)
大正10年(1921年)12月16日、大阪市南区天王寺茶臼山の住友吉左衛門男爵邸において実物を見た。
唐物の「鶴の子」の形にしてはやや背が高い方である。口縁の上端は平らで折り返しがなく、甑(こしき)の下が張り出し、肩幅は狭い。胴は少し張り出しており、その上の方には幅が広く深めの轆轤(ろくろ)の目が茶入の約半分を巡り、腰から下はすぼまっている。底の糸切りは荒い方で、起点に少し食い違いがあり、その起点に向かって左手に、底の縁にかけてやや長い箆(へら)の筋が一本ある。その他に「ひっつき(窯の中で他のものが付着した跡)」や釉薬の飛びがある。
全体は薄紫色で、黒釉が甑の際を巡っている。向かって右手は肩の下から、左手は胴の上から黒釉が二股に雪崩(なだれ)て合わさって腰に至り、そこから一本の線となって盆付(底付近)の際まで雪崩れている。露先(釉薬が垂れて止まった先の部分)は茶色になって、底の縁から糸切りに掛かっている。胴回りにおいて大小のひっつきが三、四カ所あり、その大きいものの縁に少し黄色の釉薬が見える。
裾から下は鼠色の土を見せており、その上に指の頭のような形が数カ所ある。内部は口縁に釉薬が掛かり、それより下は轆轤の目が荒く巡り、底の中央は渦状になっている。この茶入が中国において果たして何のために作られたものかは分からないが、全体的に無傷で、手に取ると軽く、置形(模様)の景色が鮮明で形が引き締まっており、可愛らしく、また気の利いた珍器である。
【原文】
漱芳
唐物 鶴の子 男爵 住友吉左衛門氏藏
名稱
朱舜水の銘にして、其文に「百卉之芬芳在花與實(中略)漱激之間津々乎其間餘味清芬甘美久而不歇云々」とあり。附属物の記事参照。
朱舜水名は之瑜、字は魯嶼、支那浙江餘姚縣の人、萬暦二十八年八月十二日生る、夙に明朝に仕へて恩貢生に擧げられしが、尋で重職を授けられんとしたれど、辭して應せず、明滅びんとすや、義として清粟を食ふを恥ぢ、萬治二年逃れて長崎に来り、寛文四年水戸義公の聘に應じ、大日本史編述を始め、水戸藩の文物に貢獻する所頗る多かりき、天和二年四月十七日逝く、年八十三、常陸瑞龍山に葬る、義公諡して文恭といひ、親ら其墓に題して明徴君子朱子之墓といふ。
寸法
高 貳寸參分貳厘
胴徑 壹寸六分五厘又壹寸六分
口徑 八分
底徑 九分
甑高 壹分八厘
肩幅 壹分又壹分參厘
重量 拾貳匁五分
附属物
一 蓋 一枚 窠
一 御物袋 白縮緬緒つがり茶
一 袋 三ツ
古金襴腰替り朱印切 裏紋かべちよろ 緒つがり紫 古袋
花輪違純子 裹かべちよろ 緒つがり黄 古袋
和久田裂 裏紋かべちよろ 緒つがり紫 新規 住友男好
一 袋箱 桐 白木 書付鼎山公
表 漱芳
裏 (古錦襴 朱印切 純子 花輪違 腰替 花押)
(備考)鼎山公は水戸第八代齊脩にして哀公と諡す、文政十二年十月四日歿す、年三十三。
一 挽家 花櫚斑入
蓋金粉字形 書付朱之瑜
(印)明朱之瑜
一 外箱 桐 白木
袋 菖蒲革 緒紫
一 内箱 桐 白木 書付鼎山公
漱芳
茶入
一 添卷物
漱芳
歳在已未季夏既望
八旬樗老
明舜水朱之瑜(印)(印)
百卉之芬芳在花與實、惟茶則在乎葉之萠、在花者、花落而香隕、在實者、菓盡而甘渝、惟茶則切以龍團、淪之嶰眼、玉椀擎來、素瓷傳送、先聲肇乎鼻端、親炙在乎唇齒、歴乎喉舌、沁乎心脾、盥漱之間、津々乎、其間餘味清芬、甘美久而不歇、神爲之爽、目爲之明、固非凡卉之所能庶幾也、是日雅人韻士、其漱之也、過於酒甚者、有七椀喫不得之歌、有旨夫。
(延寶七年)
已未季夏 明舜水朱之瑜(印)
復札附録
來示問瓶之出處並所用
一製 此瓶出自唐窑
一用
用以貯宮餅、龍涎餅、上清丸、香茶、玫瑰英、茉莉英、蘭英、梅花片之類。或有盛麝香沈香煎者、已爲識者所嗤矣。若以貯龍腦香、須用雞毛及相思子同入瓶中、雖久而不耗損。
近來日本所製、與中國無異、外貌甚似、但有微罅、性不如柔、注以沸湯、則迸裂、斯爲異耳。
八旬 樗老 朱之瑜(印)
夫器從古制法異常非一、如伏羲斮桐作琴、黄帝鑄金製鼎、以至爵斝瑚璉、繼之裂霜耀雪、宋斤魯削、儔石服匿、格古式今、無出其右、茲觀秘珍美玩漱芳、所謂泉石桂盟、文房益友者哉、時歳大淵獻長至日、沐密呵凍并序而銘之曰
畹琰之質兮、金玉之聲、翠濤凝碧兮、兩腋風清
東皐越杜多書(印)(印)
(備考)右原文隷書なれば、今讀易からしめんが爲め之を楷書に改め且つ訓點を施せり。
中山主馬様 桑山修理亮
昨日之御尋過分に存候、早々に仕合、御殘多存候、然に茶入能く見申候、尤唐物にまぎれ無之物と存候、手能く候、一段見事成茶入と存候、茶入則此者に返進申候、以上。
六月五日
封 印(印)
我宗藩臣谷氏某所藏有茶瓶、又有舜水先生及東皐越師題銘并茶瓶之記、加之以桑山玉川鑑簡、累世相傳、以爲珍玩、文政甲申之歳、獻之公家、公觀而喜、不失其舊傳、新裝以爲一卷、令老拙記其事、老拙以爲凡世之所寶者、海底千尋之深、珊瑚最構難得、雖然貴大或豪富之家、往往得而藏之、至於如彼器及此卷、雖再欲得之、不可得也、此諸連城之璧、而可也、公之賞之宜矣哉、公者鼎山源公也。
大方老人謹書時年七十也(印)(印)
(備考)大方老人は水戸第五代宗翰諡良公の六男にして、諱賴救字子徳、號謙山にして、支流大炊頭賴多の養子となり、宍戸家を嗣ぎ、文化十三年五月四日歿す、年七十五。
雜記
漱芳 應得齋谷重代之需名抹茶壺
百卉之芬芳在花與實惟茶則在乎葉之萠在花者花落而香隕在實者菓盡而甘渝(下略、前記附属物巻物の通り)
(朱舜水先生文集卷二十一)
大正十年十一月二十四日京都鹿ヶ谷別荘漱芳庵茶會 主 住友春翠
客 馬越化生 藤田江雪 高橋箒庵 野崎幻庵 山澄力太郎
一 掛物 定家二首懐紙
山家擣衣 こぬ人をなをまつのとにたきすさふしは/\秋の衣をぞうつ
關路曉霧 こえわふるこのしたやみの霧のまにありあけしらぬ足柄の山
一 花入 宗且作一重切銘しぐれ 花白椿谷桑
一 茶入 唐物 朱舜水銘漱芳 袋和久田
一 茶碗 中興名物東高麗 遠州箱書付
一 茶杓 松浦鎮信作銘サカヒ
(辛大正茶道記)
傳來
元中山主馬所持にして、水戸藩士一得齋谷重代に傳はり、延寶七年朱舜水銘して漱芳と云ふ、文政甲申七年、谷家より藩君鼎山公に獻じ、爾來水戸家の什物たりしが、大正九年十月水戸家藏器入札賣却の際、現所持者に落札せり。
實見記
大正十年十二月十六日、大阪市南區天王寺茶臼山住友吉左衛門男邸に於て實見す。
唐物鶴の子形にて稍丈高き方なり、口縁上端平面にて拈り返しなく、甑下張り肩幅狹く、胴少しく張り、其上の方に幅廣く且つ深目の轆轤茶入約半分を廻り、腰以下窄まる、糸切荒き方にて起點に少しく喰違ひあり、同起點に向つて左手に底縁にかけて稍長き箆筋一線あり、其他ヒッツキ及び釉飛びあり。總體薄紫色にて黒釉甑際を繞り、向つて右手は肩下より左手は胴上より黒釉二股になだれ合ひ腰に至りて一線と成り、盆附際までなだれ、露先茶色と成りて底縁より糸切に掛る。胴廻りに於て大小ヒッツキ三四點あり、其大なる者の縁に少しく黄釉を見る。裾以下鼠色土を見せて、其上に指頭形數點あり、内部口縁釉掛り、以下轆轤荒く繞り、底中央渦状を成す、此茶入支那に於て果して何物に生れたるやを知らざれども、全體無疵にして手取輕く、置形景色鮮明にして形締り、可愛らしく又氣の利きたる珍器なり。



