金継ぎを受け賜っています。お気軽にお問い合わせ下さい。

大島肩衝

大島肩衝(おおしまかたつき)

古瀬戸

名称
大島某(大島氏の誰か)が所持していたものであろうが、それが誰であるかは分からない。

寸法(センチ換算)
高さ:約11.8 cm(三寸九分)
胴径:約8.2 cm強(二寸七分強)
口径:約3.9 cm強(一寸三分強)
底径:約4.8 cm(一寸六分)
甑高(首の高さ):約1.2 cm(四分)
肩幅:約1.4 cm(四分五厘)
重量:約224.3 g(五十九匁八分)

付属品
・蓋 4枚(うち3枚は窠蓋(すぶた))。蓋の包み紙の書き付けは以下の通り:
「大島肩衝 箱書付 小堀遠州筆」「藤堂和泉守 遺物」「大島肩衝」
・御物袋(おものぶくろ):白縮緬、紐は白。
・仕覆(しふく) 3枚:

  1. 木下切(きのしたぎれ) 紐:つがり(縒り紐)薄茶
  2. 宗雪切(そうせつぎれ) 紐:つがり紫
  3. 藤言切(とうごんぎれ) 紐:つがり紫
    ・袋箱:桐製、白木。
    ・挽家(ひきや):花林(かりん)製、金粉の文字(大島肩衝 御蓋三 御袋三)。
    ・内箱:桐製、白木、小堀遠州による書き付け(大島肩衝)。
    袋:蜀紅錦(うさぎさや形紋緞子)、紐は縹(はなだ)色のつがり茶。
    ・外箱:黒漆塗り、金粉の文字(瀬戸大島肩衝)。

雑記
大島肩衝は、元禄16年(1703年)6月28日に藤堂和泉守(高睦)から献上された。全体は柿色の地肌に黒い釉薬が、まるで「なまこ斑」のように繋がってかかっている。胴には一本の筋(胴紐)がある。底面には火破れ(窯疵の一種)の筋が一本ある。畳付きは糸切(茶入の底の糸切り跡)。

(諸目録・史料の記録)
・『徳川家蔵御道具書留目録』の記載:
大島肩衝。高さ三寸九分、胴二寸七分七厘、口一寸三分六厘、肩二寸三分、底一寸六分。袋3枚(木の下、ただし和久田切に似て異なるもの[裏は壁裂、緒は薄紫]、宗説[裏は壁裂、緒は紫]、藤言[裏は壁裂、緒はつがり紫])。御物袋は白縮緬、蓋は象牙が3枚。挽家は花林で甲に金粉の文字。袋は蜀紅錦[裏紋緞子、緒はつがり紫]。箱は桐の白木で銘を墨書。外箱は黒漆塗りに金粉の文字(茶入の図あり)。

・『寛政重修諸家譜』の記載:
藤堂高睦(和泉守高次の子、高虎の孫)が元禄16年6月10日に遺領を継ぎ、28日に封領を継いだお礼を言上した際、父(高次)の遺物である正宗の刀と、瀬戸大島肩衝の茶入を献上した。

・『上御道具』の記載:
大島肩衝。元禄16年6月28日、藤堂和泉守の遺物。三番御長持に収納。袋3枚(藤元切、宗雪切、白紋丸龍紋金入)。

伝来
大島某の所持であったものが、藤堂和泉守高虎の子である高次に伝わり、元禄16年6月28日に高次の子である高睦が、家督相続のお礼として父の遺物として幕府(将軍家)に献上した。それ以来、徳川宗家に伝わっている。

実見記(実際に観察した記録)
大正7年(1918年)11月8日、東京府下千駄ヶ谷の徳川家達公爵の邸宅において実際に拝見した。
口作りのひねり返しは浅く、甑(首)の下は張り、全体の割合に対して口が締まっている。肩が張っており、甑と肩の間が少し落ち込んでいる様子は、まるで人間の肩を見るかのようである。全体として柿色の地に黒い釉薬がかかっており、光沢が非常に美しい。「置形(釉薬のなだれ)」の周辺は特に鵄斑(とびふ、茶褐色の斑点)が多い。肩の近くには赤柿色の小さな「抜け(釉薬のかかっていない部分)」がある。地肌の色によって薄紫色を帯びている上に、黒い釉薬がむらむらと漂うようにかかっており、古瀬戸釉の特色が著しい。裾から下は素地の白い土(白土)が見えており、糸切り跡の中には松葉のような形の彫り筋がある。また置形の周辺の裾より上の部分に、素地が露出した(釉薬が弾かれたような)箇所がある。とかくその形状の大きさが目障りにならず、豊麗で円満な気品に満ちあふれており、いよいよこれが優れた名作であることがよく分かるのである。

【原文】

大島肩衝

古瀬戸

名称
大島某の所持せしものならん其何人たるを知らず。

寸法
高  参寸九分
胴径 貳寸七分強
口径 壹寸参分強
底径 壹寸六分
甑高 四分
肩幅 四分五厘
重量 五拾九匁八分

附属物
一蓋 四枚 内三枚窠
蓋の色紙 書付次の通
[大島肩衝 箱書付 小堀遠州筆 / 藤堂和泉守 遺物 / 大島肩衝]

一御物袋 白縮緬 紐白
一袋 三ツ
 木下切 緒つがり薄茶
 宗雪切 緒つがり紫
 藤言切 緒つがり紫
一袋箱 桐 白木
一挽家 花琳 金粉字形(大島肩衝 御蓋三 御袋三)
一内箱 桐 白木 書付遠州(大島肩衝)
 袋 蜀紅錦(兎さや形紋純子) 縹つがり茶
一外箱 黒塗 金粉字形(瀬戸大島肩衝)

雑記
大島肩衝 元禄十六年六月廿八日藤堂和泉守上る。惣體柿地黒釉窳斑の如く繋くかゝる。胴紐一筋あり。底面火破れ一筋あり。盆付糸切。

寸九分、胴二寸七分七厘、口一寸三分六厘、肩二寸三分底一寸六分、袋三ッ
木の下但し和久田切に似て異なり(裏かべちよろ 緒薄むらさき)、宗説(裏かべちよろ 緒むらさき)、藤言(裏かべちよろ 緒つがり紫)、御物袋白縮緬、蓋三枚象牙、挽家花琳甲に金粉字形、袋蜀紅錦(裏紋どんす 緒つがり紫)、箱桐白木銘墨書外箱黒塗金粉字形(茶入圖あり)
(徳川家蔵御道具書留目録)

藤堂高睦(和泉守高次の子、高虎の孫)の元禄十六年六月十日遺領を襲ひ、二十八日襲封を謝するの時父(高次)の遺物正宗の刀、瀬戸大島の肩衝を献す。
(寛政重修諸家譜)

大島肩衝 元禄十六年六月二十八日、藤堂和泉守遺物。三番御長持。袋三つ、藤元切、宗雪切、白紋丸龍紋金入。
(上御道具)

傳来
大島某の所持にして、藤堂和泉守高虎の子高次に傳はり、元禄十六年六月二十八日高次の子高睦、襲封御禮の為め父の遺物として幕府に献上し、爾来徳川宗家に傳はる。

實見記
大正七年十一月八日東京府下千駄ヶ谷徳川家達公邸に於て實見す。
口作括り返し淺く、甑下張り、大形の割合に口締り、肩張りて、甑と肩との間少しく落込みたるは、殆んど人間の肩を見るが如し。總體柿地に黒釉掛りて光澤麗はしく、置形の邊別して鵄斑多し、肩近く赤柿色の小さきヌケあり、地色によりて薄紫を含みたる上に黒釉むら〜と漾ひ、古瀬戸釉の特色著しく、裾以下白土を見せ、糸切の中に松葉形の彫筋あり、又置形の邊に裾より上の方に素土の斗入したる所あり、兎角其形の大なるが目觸りと為らず、豊麗圓満の気象あるは、愈々其妙作たるを知る可きなり。

タイトルとURLをコピーしました