大名物。古瀬戸肩衝茶入。
形が細長く槍の鞘のようなのでこの名を付けたのであるでしょう。
『名物目利間書』には「太閤銘」、雲州松平家本『茶入名物記』には「利休銘」とあります。
一説に明智光春が坂本城で最期の時、この茶入を槍の鞘にかけて秀吉の軍に渡したのでこの銘かおるといいますが、おそらく後人の付会であるでしょう。
柿色に黒の斑点がいたってこまやかで、なだれは黒の内飴のすきに少し黄が混じって見事で、左の肩に面があるようで、総体に金気が強く、麗しく比類のない上作であります。
豊臣秀吉所持、石川備前守が伏見奉行を首尾よく勤めた賞としてこれを拝受し、石川宗雲、その子自安(本姓後藤)、四代藤右衛門と伝わり、藤右衛門の時京都の井筒屋こと河井十左衛門休貞に譲与しました。
小堀遠州が伏見で奉行だった時、京都に上る楽しみはこの茶入を見ることであるといったといいます。
井筒屋はこれを非常に寵愛し店頭の座右に置いて昼夜その側を離れなかった程だといわれます。
井筒屋の家計が不如意となるに及んでついにこれを三井八郎右衛門に売り渡しましたが、箱だけは手許に留め置きしました。
万一家政が立ち直れば買い戻すつもりであるためでありましたが、ついにその望みのないことを知り、箱と茶入とを再び巡り合わせたいといって買い主に贈ったといいます。
寛政(1789-1801)の頃松平不昧が当時位金二千五百両、実価一千六百五十六両一分二朱三匁五厘で購求しました。
不昧はその幾多の愛蔵茶入のうち、油屋肩衝を漢作の大関として板渡し圓悟墨蹟に配し、鎗の鞘肩衝を和物の大関として破れ虚堂墨蹟に配し、この両者を両大関と誇り、参勤交代の折は油屋を一の箱に入れ鎗の鞘を二の箱に入れ、侍臣に負わせて輿側に随行させたといわれます。
(『玩貨名物記』『名物記』『瀬戸陶器濫胴』『麟0亀龍』『極秘目利書』『茶話真向翁』『町人考見録』『大正名器鑑』)
やりのさやかたつき 鎗の鞘肩衝
古瀬戸肩衝茶入。
大名物。
秀吉の所持で、命銘は『名物目利聞書』では秀吉とあり、『雲州松平家本名物茶入記』では、利休が名付けたとありますが、要するに茶入の形の細長いところから連想した姿でしょう。
のちに加賀屋作右衛門の取次で松平不昧が購入し、自ら編した 『雲州蔵帳』に和物茶入の随一として筆頭にかかげ、宝物之部にあげていますし、仕覆も初機名物裂をとり合わせています。
口造りの捻り返しが強く、甑低く肩に迫り、肩より裾に至るややふくらみの線が見事にのびて端正な姿となり、同種のうちでも出色の肩衝茶入です。
胴筋真中に一線を画し、左右の均衡を保つがごとく口糸切は正しくおさまっています。
釉景は総体に紫みを帯びた褐色地にとしき鶉斑が一面に現われ、左肩際から斜めに濃色を増して露に至る釉景が置形をなし、その側に指形のごときものが残り、茶釉の濃淡が相和して景色となっています。
【付属物】蓋―三 蓋箱 桐白木、書付松平不昧筆 仕覆六、大燈金襴・野田裂・茶地錦・角倉金襴・波紋緞子・金剛金襴(図版上段右より)仕覆箱 桐白木書付 挽家―黒塗革、金粉文字 挽家仕覆染革 渋色塗松木盆利休所持 盆箱 桐白木、書付小堀遠州筆 内箱桐白木、煮黒味錠前付 外箱―ねり革
【伝来】 豊臣秀吉 石川備前守石川宗雲―石川自安―石川藤右衛門―井筒屋河井十左衛門 三井八郎右衛門―松平不昧
【寸法】 高さ:9.5 口径:3.45 胴径:5.9 底径:3.35 重さ:103