名物大正名器鑑朝鮮茶碗

青井戸茶碗 銘 宇治

名物
一名:蜂谷井戸
高さ:6.8~7.2cm
口径:15.2cm
高台外径:4.9~5.1cm
同高さ:1.3cm

 この茶碗を『大正名器鑑』では古井戸としていますが、これとほとんど同様の釉色をもつ柴田井戸を青井戸としていることに、少なからず疑念をいだく人は多いにちがいありません。もし宇治を古井戸とするなら、柴田もまた古井戸でなければなりますまい。ことに古井戸という言葉が、大井戸に対しての小井戸の意であり、小の字をきらって古をあてたにすぎないとすれば、柴田や宇治のように釉色にあまり青味をもたぬものは、小井戸とするのが当然ともいえますが、ここでは両者とも便宜上、青井戸として扱いました。それは図版を順次に追えばわかるように、青井戸の範躊を釉色の青味のみではなく、いささか語義からは逸脱しますが、形態の上でも適用させたからです。
 ちなみに、柴田を青井戸としたのはいつごろか判然としませんが、明治三十一年四月に平瀬露香が用いたとき「一 茶碗 青井戸 信長より柴田勝家拝領也」としていることから、平瀬家にあったとき、すでに青井戸と称されていたことはたしかです。ところが宇治の場合は、その付属の添え書き付け「宇治井戸賞鑑」の文中に、「……(前略)実ニ小井戸中最上卜称スベキ也」と所持者神戸蘇川が天明四年にしるしていますのに、大正五年、これを織田徳兵衛に譲った神戸吟秋は、「有楽公所持青井戸 名宇治」と譲り状にしるしていて、天明に小井戸であったものが大正では青井戸となっています。
 上以上の点から察しますと、小井戸・青井戸の区別は不昧公以後、ことに戸田露吟・平瀬露香などの間で盛んに論議されるようになったもので、古い箱書き付けに、そうした区別がほとんど見られないことからしても、江戸時代後期までは、古井戸も、青井戸も大井戸も、いずれも井戸茶碗で、あえて分ければ大井戸に対して小振りの井戸(青井戸も含めて)というような扱いがとられていたにすぎないようです。
 この茶碗の特色は、作ゆきや釉調が変化に富んで見どころの多い点を、京都の宇治よ見立てて、織田有楽が命銘したと伝えられるように、内面の見込み一段くぼんだ茶だまりから‘中ほどにかけての釉調の変化、また高台から外側にいたる色感豊かな釉肌のよさはみごとで、ことに赤味をおびた枇杷色釉、あるいは高台内外の梅花皮(かいらぎ)など、その釉調には名所宇治の朝景色にもまさる深い味わいがあります。
 伝来は、内箱に貼られていたと思われる小さな貼り紙の筆者を、『名物目利聞書』でも「宇治井戸有楽書付」としているように、むと織田有楽所持と伝えられ、のちに京都の蜂屋彦兵衛に伝わったため、一時期蜂谷井戸ともいわれたといいます。その後、名古屋の数寄者神戸文左衛門の蔵となり、大正五年に、同地の織田徳兵衛に譲られ、さらに中村家に伝えられました。
(林屋晴三)

宇治井戸 うじいど

名物。
朝鮮茶碗、古井戸。
織田有楽斎が所持。
銘は謡曲「頼政」の一節「げにや遠国にて聞き及びにし宇治の里、山の姿、川の流れ、をちの里、橋のけしき、見所多き名所でしょうか」に因み、見所が多いところから有楽が銘としたと伝えられます。
有楽から京都蜂谷彦兵衛に伝わり一時蜂谷井戸とも称されましたが、のちに本名宇治井戸に復しました。
神戸文左衛門、織田徳兵衛、中村貫之助と転伝。
(『大正名器鑑』)