


横田肩衝(よこたかたつき)
古瀬戸 大名物 侯爵 徳川義親氏 所蔵
名称
所持者の名前に由来すると思われるが、詳しい由来は定かではない。
寸法
高さ:約13.9 cm(四寸六分)
胴径:約6.1 cm(貳寸五厘)
口径:約3.9 cm(壹寸参分)
底径:約4.8 cm(壹寸気分)
甑高(こしだか):約0.7 cm(貳分参厘)
肩幅:約0.8 cm(貳分半~参分)
重量:約461.3 g(百貳拾参匁)
附属物
一、蓋:1枚(箆輪蓋)
一、御物袋:白縮緬 紐は浅黄色のつがり(組み紐)
一、袋:1つ
古金襴花兎(裏地:浅黄、紐:紫のつがり、虫食いあり)
一、糸箱:桐製 白木 金粉の字形
「横田肩付」「御茶入之袋」「横田肩衝」の文字あり
一、挽家(ひけや):黒塗 蝋色(ろいろ)額彫金粉の字形
(横田肩付)
袋:大和錦(裏地:唐織、紐:黄色のつがり)
一、内箱:桐製 白木 金粉の字形
「横田肩付」「御茶入」の文字あり(金粉は剥落している)
一、外箱:桐製 春慶塗 墨書付き
「横田肩付御茶入」「同 御袋」の文字あり
雑記
横田肩衝は縦長で、全体が柿色をしており、黒い釉薬(うわぐすり)が薄く流れ落ちるようにかかっている。肩の角は少し黄色みを帯びている。底には糸目があり、釉薬はかかっていない。胴には斜めに約6.1 cm(二寸)ほどの箆(へら)目がある。足利義政から義昭まで足利家に伝わり、その後、織田信長を経て豊臣秀吉に伝わった。秀吉と徳川家康の和議が成立した日に家康へ贈られ、家康はこれを先祖(尾張藩祖)である徳川義直に譲り与え、それ以来、当家に代々伝わっている。
(『尾州徳川家蔵品産帳』より)
(年号不明)4月4日 尾張大納言殿 正午の茶事
新住の千宗旦が建てた園(茶室)にて
一、掛け物:烏丸光広卿の短冊
一、花入:唐葭枝附一重切(千利休作)花はオオヤマレンゲ
一、茶入:名物 横田肩衝
東山義政公より代々所持され、信長から秀吉に伝わり、太閤(秀吉)から神君(家康)との和睦の際に贈られた品であるとのこと。
一、茶碗:三島(「礼賓」の文字あり)
(『木全宗儀氏本来茶事記』より)
伝来
東山御物(室町将軍家のコレクション)であり、織田信長の所持となった後、豊臣秀吉に伝わった。天正12年、秀吉と家康の間に不和が生じ、小牧・長久手の戦いが起こったが、秀吉側の軍勢に利がなかった。同年12月に和議が成立した際、秀吉はこの茶入を家康に贈与した。後に家康はこれを尾張藩祖の徳川義直に譲り与えた。すなわち駿河分物(家康の遺産分配)の一つであり、それ以来、尾張徳川家に代々伝わっている。
実見記
大正8年(1919年)6月5日、名古屋市東区大曽根町の徳川義親侯爵邸において実際に拝見した。
古瀬戸の大肩衝茶入であり、口の作りは蛤の目のようになっており、その縁の一箇所に自然な凹みがある。全体としては柿色の金気(かなけ)ある釉薬の中に、黒い釉薬が薄くムラを持ってかかっている。肩の下から轆轤(ろくろ)目が浅くめぐり、胴の中ほどに斜めに長さ約6.1 cm(二寸ばかり)の縦の箆目が一筋ある。底はズンド切り(真っ直ぐな切り落とし)で糸切りの跡は荒く、裾以下には浅い「踊り」がある。筒形の胴はやや括れ(くびれ)、裾が少し張っており、底近くになって再び締まっている。一輪挿しの花入としても使用できるほどの大きさで、茶入の中でも最大級のものと言える。
【原文】
横田肩衝
古瀬戸 大名物 侯爵 徳川義親氏蔵
名称
所持者の名なるべきも由来審かならず。
寸法
高 四寸六分
胴径 貳寸五厘
口径 壹寸参分
底径 壹寸六分
甑高 貳参厘
肩幅 貳分半又参分
重量 百貳拾参匁
附属物
一蓋 壹枚 箆輪蓋
一御物袋 白縮緬結つがり浅黄
一袋 一ッ
古金襴花兎(裏:浅黄、紐:つがり紫、虫)
一糸箱 桐 白木 金粉字形
横田肩付
御茶入之袋
横田肩衝
一挽家 黒塗 蝋色 額彫金粉字形
(横田肩付)
袋 大和錦(裏:唐織、紐:つがり黄)
一内箱 桐 白木 金粉字形
横田肩付
御茶入 金粉剥落
一外箱 桐 春慶塗 墨書付
横田肩付御茶入
同 御袋
雑記
横田肩衝 堅高く、総體柿色に、黒薬薄くなだれありて肩の角少し黄色を負へり、底糸目、薬なし、胴に斜に箆目長二寸程あり。足利義政より義昭迄足利家に傳り、其後織田信長を経て豊臣秀吉に傳り、秀吉徳川家康と和議成るの日家康へ贈り、家康又之を先祖義直に譲與せられ、爾來當家に相傳す。
(尾州徳川家蔵品産帳)
(年號不明)四月四日尾張大納言殿正午茶事
於新住千宗旦建之園也
一掛物 烏丸光廣卿短冊
一花入 唐葭枝附一重切(利休作)花大山蓮華
一茶入 名物横田肩衝
東山義政公より代々所持信長より秀吉に傳り太閤より神君さ御和睦の際被進候品の由
一茶碗 三島(禮賓の文字あり)
(木全宗儀氏本来茶事記)
傳來
東山御物にして、織田信長の所持となり後豊臣秀吉に傳はりしが天正十二年秀吉家康の間に隙あり、小牧長久手の二役に、秀吉の軍利あらず同年十二月和議成るや秀吉此茶入を家康に贈與せり後家康之を尾州藩祖徳川義直に譲與す即ち駿河分物の一にして、爾來尾州家に相傳す。
實見記
大正八年六月五日、名古屋市東区大曾根町徳川義親侯邸に於て實見す。
古瀬戸大肩衝茶入にして、口作蛤の目状を成し、其縁に一ヶ所自然の凹せあり、總體柿金気釉の中に、黒釉薄くムラ~に掛る、肩下より轆轤目淺く繞り、胴中に當り斜に長さ二寸許の堅箆一筋あり、底ズンド切りにて糸切荒し、裾以下浅く踊あり、筒形の胴稍括れ裾少しく張り底近くに至りて又締まる、一輪挿花入にも使用し得べき程にて茶入中最大なる者と謂ふべし。



