細字九谷 さいじくたに

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

九谷焼の深孟または湯呑みなどの内側に細字を書いたものです。
明治初年、旧加賀藩の御手木(他藩の抱え力士に相当)佐藤某が細字をよくし、鐘(深形の洋盃)の内側に隷書体の詩文を書いたのが始まりとされます。
次いで1877年(同一〇)頃、九谷の陶画工野村善吉(芙蓉堂)が千字文・赤壁賦などを器の内面に書き、以来清水清閑・赤丸雪山・笹田友山・竹内誠山・八田逸山などこれに倣う者が続出、金沢赤絵九谷の特徴となりました。
1887年(同二〇)頃より次第に流行を増し、1897年(同三〇)頃に旺盛を極めて、深盃・洋酒盃・楊枝立て・湯呑み・ジョ。
キ・茶碗・飯碗その他、内面を有するすべての九谷焼の大半は内側に詩文・千字文などを書くに至りました。
その結果粗製に陥って声価を失い、大正に入るとほとんど絶滅しました。
なおこの間、小田清太郎(清山)がこれに絶妙の技をもって知られました。
(松本佐太郎)

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