『天宝遺事』に「支那唐朝の内庫に酒杯あるようで、青玉色にして乱糸の如き紋あるようで、その薄きこと葉の如し、上に自暖杯の字を金にて鍍めたり、上命じて酒をとりて之に注ぐに温々然として沸湯の如かりき」といいます。『景徳鎮陶録』に引いている『雲仙雑記』の記文によりますと、これは青磁の酒盃で自媛盃と名付けたといいます。