愛知県瀬戸市祖母懐町の地。
「うばがふところ」または「うばのふところ」とも呼びます。
三方を丘陵に抱かれ正面が日向に当たっている地形のゆえにこの名があります。
陶祖藤四郎が初めてこの地の陶土を発見し、瀬戸永住の意を決したと伝えられます。
その質は勁灰色で粘力が強く、地下深く脈をなします。
すなわち後世の木節の良品に属します。
いわゆる祖母懐窯はこの地に築かれたものであるといいます。
1616年(元和二)8月藩祖義直によって名古屋城内に御深井窯が起こされますと、もっぱら原土を祖母懐から採択しました。
そして二代光友の時代に御用窯であるところから一挙にこの土を採掘し倉庫に収め、その跡に柵を立てて私用を禁じました。
このことから御深井焼の製品の中には「祖母懐」の銘があります。
なお祖母懐茶入を焼いたのは瀬戸の祖母懐なのか、美濃国可児郡久々利村(岐阜県可児郡可児町久々利)の「うんばがふところ」の地の窯なのか明らかでないようです。
(『森田久右衛門日記』『本朝陶器放証』『日本近世窯業史』『をはりの花』『日本陶甕史』)