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鶴田 純久の章 お話

彦根藩窯湖東焼の陶画工。
尾張国瀬戸村(愛知県瀬戸市)の人で、1856年(安政三)11月御抱えとなり名を新介と改名。
染付および赤絵を描いたが1859年(同六)に辞して帰郷、のち京都に移って名を井上松兵衛と改め松坪と号しました。
(『湖東焼之研究』)※いのうえしょうへい

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