石川丈山 いしかわじょうざん

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鶴田 純久の章 お話

儒者、煎茶道の祖。
1583年(天正一一)生まれ。
六六山人と号しました。
初名嘉右衛門尉重之。
徳川譜代の臣石川信定の子。
勇武で名があり、大阪夏の陣に軍律を破って抜駆けの功名を立てたために追放となり、武士をやめました。
儒学を藤原惺高に学び、のち和歌山藩主浅野長晟に仕えたが間もなく致仕し、京都に帰住し世俗から隠れ、1636年(寛永一三)五十三歳の時比叡山麓の一乗寺村(左京区)に詩仙堂を建て、林羅山・堀杏庵・菅得庵・野間三竹らの文人雅客と交わり、煎茶趣味の酒店・飯店・茶店を建てました。
詩仙堂の名はその建物の四壁に中国の三十六詩仙の画像を掲げたからであります。
別名を凹凸案ともいいます。
1672年(寛文一二)5月23日没、九十歳。
後世煎茶の流行と共に丈山をもって煎茶道の祖とあがめました。
旧跡は丈山山と称し近来人の盛んに訪れるところとなりました。

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