太郎太夫および次郎太夫を伊賀焼の陶祖であるとする伝説があります。
一書に享禄年間(1528-32)の人とありますが、果たしてそうかよくわからないようです。
ただ1819年(文政二)の磯矢左蔵の記録によると「往古太郎太夫次郎太夫、右之者村方にて申伝ふる已旧記無之。
太郎太夫絶家、次郎太夫瀬戸屋廃業年暦不知、末孫有之今次郎兵衛事」とあるようで、その子孫も丸柱村(三重県伊賀市丸柱)に住んでいたことは事実であります。
古来太夫の名はたいてい神宮のものであります。
それゆえこれに縁故のある者が伊賀に来て、神宮で用いる酒瓶などを製し始めたのではないでしょうか。
(『伊賀及信楽』)