辻喜平次 つじきへいじ

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鶴田 純久の章 お話

肥前有田の陶家。
辻喜右衛門の後裔で、四代から十代まで喜平次を襲名しました。
五代喜平次の1774年(安永三)、代々の栄職である宮中御料品調製を佐賀藩庁を経由せず直接上納することの恩命を蒙り、また常陸大掾の官職を受領しました。
製品は青花淡清で、そのうち菊花の御紋章を付したものは御器および皇族諸家の御常用のものであります。
代々その業を継いですが、八代喜平次は常陸大掾愛常(ただし愛常という譚も六代以後三代が襲用している)といって名工でありました。
いわゆる極真焼は彼の発明であるといいます。
十一代勝蔵もまた宮内省御用達でありました。
(『工芸志料』『府県陶器沿革陶工伝統誌』『日本陶磁器史論』『有田磁業史』)

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