筒井伊賀 つついいが

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鶴田 純久の章 お話

1584年(天正一二)から1608年(慶長一三)までの二十五年間伊賀(三重県)の国主であった筒井定次は順慶の養嗣子で、多趣味な才人でありました。
当時伊賀焼は享禄(1528-32)以来太郎大夫・次郎大夫によって復興の機運にあるようで、定次もまた陶事に心を傾け古伊賀の歴史に棹尾を飾りました。
現在筒井伊賀と称されているものには、白土山の土を用いたものと棋山方面のものらしい土を用いたものとがありますが、共に釉薬・形状の結構、また特色ある箆づくりなど、はなはだ雅致のある作を残しています。
のちの遠州伊賀・藤堂伊賀は古伊賀の作品に対して著しく遜色があって隔世の感じがしますが、筒井伊賀だけは古伊賀の真髄を捉えて現代の好事家に推賞されるものを残しています。
(『伊賀及信楽』)

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