外山焼 とやまやき

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鶴田 純久の章 お話

戸山焼・楽々園焼ともいいます。
江戸の尾張家別邸(市ヶ谷見付近くに窯があったという)においてつくられた陶磁器。
そのはじめは尾張藩十二代斉荘の時で、瀬戸・赤津両地の陶工を召して1841年(天保一二)4月に開窯しました。
土は祖母懐のものを取り寄せ、瀬戸あるいは楽焼の方法に倣って種々の器をつくりました。
「楽々園」「祖母懐」などの印かおります。
またその窯の指図役は正木伊織で、自らも器物をつくりこれに「正木」「楽々園」の印を並べて押しました。
土・釉ともに自然色を帯びた妬器で、精白土質の青花磁器もあるといいます。
(『観古図説』『陶器類集』『をはりの花』『日本近世窯業史』)

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