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鶴田 純久の章 お話

嗅ぎ煙草を入れる壺。
中国明代の1581年(万暦九)、利瑞賓(MatteoRicciイタリア人)が初めて鼻煙をもたらして宮廷に献上しました。
清初には西洋人がしばしば人貢し、朝廷はこれを大臣に頒賜してのち広く行われるようになりました。
その壺はもとは五色の破璃(ガラス)でつくりましたが、のちには套料を用いました。
套料とは凝脂・郭雪・荊粉の三種の白破璃を地として、その上に紅・藍・黄・緑・黒などの諸色の琉璃を重ね、これに竜風・蛎嫡・魚雁・花草を彫り、深い部分は地の白にまで達するようにしたものです。
套色は普通一色に一彩でありますが、四、五彩に至るものもあります。
壺足の顕に古月軒という字のあるものが最も著名であります。
その後美玉や宝石を用いたものもありますが、鑑賞家は旧製の琉璃のものを上とします。
陶磁製のものは宋の定窯にありますが、これは元来薬瓶でありました。
雍正(1723-35)のものは多くは渾円・長形であるようで、時に六角のものもあります。
青花・爽紫・釉裏紅など釉種はさまざまで、やや大きいものは瓶の役も兼ねたようであります。
乾隆(1736-95)のものはやや扁形で種類も多様で、彫磁五彩の大物がもっとも多いようです。
(『趙之謙勇庫間語』『東洋美術史』『飲流斎説甕』)

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