曜変天目茶碗 ようへんてんもくちゃわん

曜変天目茶碗
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鶴田 純久の章 お話
曜変天目茶碗
曜変天目茶碗

国宝。大名物。中国茶碗、曜変天目。
もと徳川幕府の蔵。
淀侯稲葉家に伝わり1918年(大正七)3月東京美術倶楽部の入札に十六万八千円で横浜小野哲郎家に落札、当時の茶碗価格では最高記録でありました。
呑口には覆輪がなく、口縁下はやや括れ以下次第に挾まり、裾より下は鉄気色の上を見せ、釉留まりは行儀よく、一力所上が欠けて落ちがあるようで、高台は蛇の目形でおとなしく底内は平面で、外部ハー面に黒紺色で星紋を見ず、これに反して内部は星紋が大小群をなして散らばり、紺瑠璃色・銀色・群青・紺碧などの色彩が紋中に乱発して斑紋はあたかも豹皮のようであります。
光線を一度照らせば五彩の色が鮮かに輝き、相い映発してちらちらと目もくるめくばかりに変幻し、文様が豊富で鮮明なことはこの類の茶碗のなかで第一等であります。
ただ中にI線のひびきがあるのは名玉の微瑕であることを免れませんが、それでもなお曜変申の白眉であることを失わないようです。
輿に稀代の珍宝というべきであるでしょう。
現在は静嘉堂蔵。
(『玩貨名物記』『古今名物類聚』『大正名器鑑』)

国宝。大名物。中国茶碗、曜変天目。
水戸藩祖徳川頼房がこれを家康より受け、同家代々に伝わる家宝でありました。
1918年(大正七)同家売立の際五万三千八百円で藤田家に落札。
稲柴家の曜変と同型同大であります。
稲柴家のものは内部の星紋が鮮かに輝きあたかも豹皮を見るようでありますが、これは雨後の空にところどころ星紋を点じたように雲煙断続の中にぼつぼつと斑点かおり、瑠璃色、もしくは紺青色など目のさめるばかりの色彩は名状し難いです。
金覆輪であります。
また稲葉家のものは外部は総体に無地でありますが、これは暗夜の星のようにところどころに星紋を点じているのが非常に珍しいです。
裾廻ハソの釉掛かりはやや厚く、裾以下鉄気色の土が現れ、総体は無疵、清麗で玉のようで古来稀有の珍宝として尊重されているのも偶然ではないようです。
現在藤田美術館蔵。
(『諸家名器集』『大正名器鑑』)

国宝。大名物。中国茶碗、曜変天目。
江月和尚以来京都大徳寺竜光院の什物であります。
古来こノー碗を売却すれば簡単ニー寺を建立することができるといい伝えられています。
覆輪はなく、外部は黒無地。
釉掛かりは普通テー部釉溜まりの厚いところがあります。
土は鉄気色、高台縁は輪形をなし、底内平面すべて同手の天目茶碗と同じであります。
内部は梅鉢模様のような大小星紋中に紺・青・弱翠・浅黄など種々の色彩があるようで、日光にかざせば鮮かに輝き、変幻するその光景は名状し難い。
高橋篇庵の評語によれば、曜変天目叫稲葉家第一、水戸徳川家第二、そして第三位がこの天目であるとされ、形状の大小・作行・釉質はいずれもほぽ同様でありますが、他の二つと比{れば星紋少なく景趣の変化にやや乏しい方であるといわれます。
(『大正名器鑑』)

重要文化財。大名物。中国茶碗、曜変天目。
もと樋口屋紹札所持、1569年(永禄一二)頃油屋常佐(本姓伊達)に伝わり、のち徳川幕府を経て尾張家に移って以来相伝。
銀覆輪で内外は共に黒釉中に銀砂子のような斑点が現れ、しかも内面の点態はやや荒く外面は少しこまかであります。
裾の黒釉の尽きたところには黄味を帯びた飴色釉が4-5mm程の幅で周囲を巡ります。
高台の内外は白鼠色の土を見せ、箆を切り廻わして面を取り段を成しています。
全体の斑点の中にところどころ梅鉢模様を成すものがあるところは、京都大徳寺塔頭竜光院の曜変天目に似たところがありますが、まず世間で油滴天目と称される種類であります。
現在は徳川黎明会所蔵。
(『天正名物記』『玩貨名物記』『古今名物類聚』『大正名器鑑』)

重要文化財。大名物。中国茶碗、曜変天目。
前田家伝来。
覆輪なし。
光沢のある黒釉の上に油滴の星紋があるようで、内部は密に、外部はややまばらに現れ、星の中に青貝のような紺碧の色彩が日光に映えて変幻します。
外部ハー面に琥輸目がゆるく巡り、裾の釉溜まりはやや厚く、土際の高低はほぼ同一で以下鉄気色の土を見せ、高台は蛇の目形をなし、内部の見込みにおいて光沢が特に麗しいです。
曜変天目としては星紋が極めて小さく梅鉢模様の大星紋がないようです。
(『玩貨名物記』『古今名物類聚』)

名物。中国茶碗、曜変天目。
姫路侯酒井家に代々相伝のものです。
おおよそ油滴手ではあるが内部に小星紋があるので曜変の部類に加えられたものであるでしょう。
(『大正名器鑑』)

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