京都の土風炉師西村善五郎の十代で、同じく善五郎を通称としました。
幼時に父母に別れ千家の各家で成大し、成長して九代楽了入に入門し父祖の業である土風呂の製造に精進しましたが、また土焼物の諸器をもつくりました。
晩年了々斎宗左より一字を与えられ了全と号し、その印も代々襲用してきた銅印を廃して了々斎筆の了全の二字印を用いました。
また文政年間(1818-30)養子十一代保全が紀州侯より永楽の印を受けるに及んで、了全もまた永楽と称しました。
1841年(天保十一)1月没。
(『本朝陶器放証』『日本陶甕史』『彩壺会講演録』)