香川県綾歌郡綾川町陶(旧陶村)を中心に分布する古窯址群。
須恵器窯と瓦窯とが共存します。
綾南町一帯は標高4-50mの洪積台地が発達しており、窯跡は主としてその台地縁辺に点在します。
この古窯址群は奈良時代に始まりその後平安後期の頃まで存続しました。
窯跡の総数は百基を越えます。
綾南古窯址群中の須恵器窯はいずれも宿窯でその構造や規模は通有のものと変わらず、全長9-10m、最大幅2m前後の窯が最も多いようです。
また瓦窯にはロストル式の平窯と床面が階段状をなすものとの二つのタイプがあるようで、その操業年代は須恵器窯の場合とほぼ一致します。
この古窯址群で生産された須恵器の器種・器形・製作技法などは、基本的には同時期における他地方の製品と変わりませんが、注目すべきことは、奈良時代に属する須恵器片中に箆描きの文字を有するものが若干例発見されていることであります。
もともと讃岐国(香川県)は綾南古窯址群の所在する綾歌郡綾川町陶をはじめ、さぬき市末・三豊市高瀬町末など「すえ」の地名を残す所が多く、これらの地はいずれもかつて須恵器生産の盛んに行われた所でありました。
讃岐国は『延喜式』主計上の諸国調貢品中に、陶屁十二口・水翁十二口・屁八口・壺十二合・大底六合・有柄大底十二口・有柄中底八十五口・有柄小底三十口・鉢六十口・坑四十合・麻笥盤五十口・大盤十二口・大高盤十二口・埃下盤四十口・椀三百四十口・蛮坏一百口・大筥坏三百廿口・小筥坏二千口を挙げています。
南海道六国のうち須恵器が調物のうちに含まれているのは讃岐一国であるようで、この地方が奈良・平安時代にわたって窯業生産の地方的中心地であったことが推察できます。