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鶴田 純久の章 お話

一名を宜均といいます。
中国明代の宜興の人欧子明か製じたもので、形式の大半が均窯に倣っているので宜均といいます。
宜興において製作したが陽羨名陶の一系すなわち朱泥の一派とは別の系統であります。
また清代の紫砂掛釉(紫泥に釉を掛けたもの)ともいささか異なります。
たいてい製造の時に少し甕質を混入したものらしく純粋の紫砂を用いたものではないようであります。
瓶・孟などがありますが、洗の類が最も多いとされています。
欧窯と広窯は共に均窯に倣い外観が重厚で形は極めて相似していますが、実際は同じものではないようです。
およその異同を挙げますと、広窯は青中藍斑を発するものが最も多く、このほか他色があるとはいってもすべて灰墨一類の釉を出ないようです。
欧窯では色沢がやや多く青藍を除くほか均窯に倣った深紫色があり、また雲豆茄皮などがあり、かつ藍斑も広窯のように濃くはないようです。
これが両者の相違点の一つであります。
広窯の底は胎を露わすものが多く、欧窯の底は胎を露わすものが非常に少ないのが相違点の二。
広窯の製作は純乎の渾撲古雅、欧窯は渾撲古雅の中に奸整の趣があり、これが相違点の三。
清代になって唐英が景徳鎮で欧窯を模造しましたが、明の欧窯は橘皮釉があるのに唐英の模造品にはこれがなく、釉もまた乾隆(1736-95)の器と異ならないようです。
いずれが明でいずれが清であるか、もとより一見して知ることができます。
(『飲流斎説甕』)

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