大出東皐 おおいでとうこう

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鶴田 純久の章 お話

明治期の画家。
1841年(天保こI)上野国(群馬県)桐生に生まれました。
通称愛次郎、桐江と号しのちに東皐と改めました。
別に蝸牛窟の号があります。
画法を藤堂凌雲らから学び花烏を最も得意としました。
明治維新前後に諸国を遊歴し、以来東京に住み平素は陶画を業としました。
明治の前半期に愛知県瀬戸の川本桝吉方で従事し、南宋の花烏を写して一時の流行を作りました。
1905年(明治三八)没、六十五歳。

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