大倉陶園 おおくらとうえん

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鶴田 純久の章 お話

1919年(大正八)5月に森村組創始者の一人である大倉孫兵衛が、利益を度外視してイギリスのボンチャイナ、フランスのセ一ブル、イタリアのジノリ一以上の陶磁器生産を目指した個人事業として発足、高火度焼成磁器の生産に向かいました。
創業工場は東京府荏原郡六郷村(大田区)。
戦前は宮内省、皇太后宮職、秩父・高松∴二笠各宮家の用品、外務省在外公館用、海軍省遣外艦隊用としてわが国最高の洋食器たる評価を受けました。
この間陶園独特の染付として知られる藍色ばら模様、瑠璃、青磁エンコ一ベ、ロ一レット使用によるエンボス彫刻、ピンタ一クリ一ム素地、陶花、篭、辰砂などを発売。
1945年(昭和二〇)4月空襲により全施設を失ないましたが、戦後ただちに復興し1950年(同二五)4月株式会社に改組。
翌年には日本陶器・日本碍子・東洋陶器など森村系企業が資本参加し、次第に企業体制を整え今日に至っています。
その後大倉孫兵衛の遺志を継ぐ大倉和親・大倉譲治が相次いで死亡し、次第に大倉家の事業的色彩は失われ、日本陶器グル一プの最高級磁器部門を担当しています。

大倉孫兵衛 おおくらまごべえ

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