大倉孫兵衛 おおくらまごべえ

大倉孫兵衛
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鶴田 純久の章 お話
大倉孫兵衛
大倉孫兵衛

1843年(天保一四)江戸日本橋青物町(中央区)の絵双紙店に生まれ、十二歳で本屋の年季小僧に入り、のち出版業を始め日本橋際に大倉書店を開いました。
1876年(明治九)義兄森村市左衛門がアメリカへの雑貨輸出を企てたのでこれに荷担。
1891年(同二四)森村組で製陶業に着手したのち、1893年(同二六)シカゴ博覧会を視察し、これよりドレスデン風の西洋絵付を開いました。
飛鳥井孝太郎と白生地の問題に苦心を重ね、日本陶器会社でディナ一・セットの成果をみたのは1914年(大正三)のことであったといいます。
孫兵衛の努力は日本陶器会社に集中され、輸出事業の性質上より愛知・岐阜および京都・淡路などの製陶家に期待しえなくなったため、やむなく多年の実験を重ねた末ついにわが国で初めての洋式工場を成立させました。
取引先のイギリス人に瀬戸の実状は二世紀も遅れていると評され、オ一ストリアの工場をひそかに窺い、ドイツの官立製陶所でわが国の原料を試焼して初めて企業の決心を固め、必要品を取り揃えて帰国し名古屋市外に会社を設立したのは1904年(明治三七)のことでありました。
1921年(大正一〇)12月没、七十九歳。
瀬戸その他の陶業を革新し、輸出工芸の標準を示し、工場組織の模範を立てるなど、犠牲的な努力をもって常に公共に尽くした人でありました。

大倉陶園 おおくらとうえん

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