邑久古窯址群 おくこようしぐん

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鶴田 純久の章 お話

岡山県瀬戸内市長船町・邑久町・牛窓町にまたがって分布する須恵器窯跡群。
これまでに約六十基の窯跡が発見されており、古代吉備地方における最大の窯業生産地でありました。
邑久古窯址群の成立年代はほぼ六世紀前半の頃と推定されます。
須恵器生産の開始当初は小規模でありましたが、その後次第に生産規模を拡大し奈良時代には盛期を迎えました。
やがて奈良時代末期に至って急速に衰退し、平安時代にはその末期の頃、日用雑器類を生産する窯がわずかに残るだけという状態になりました。
邑久古窯址群における製品の種類は他地方の須恵器窯の場合とほとんど変わりませんが、白鳳時代に属する窯跡の一つから鴎尾や陶棺なども検出されており、製品の種類が多岐にわたっていたことを知ることができます。
この邑久古窯址群に接して、和気郡備前町を中心に中世窯業の一大中心地である伊部古窯址群(備前焼)が所在しますが、これは邑久古窯址群の発展とみることができましょう。
なお吉備地方ではこの邑久古窯址群のほかに、勝田古窯址群・磐梨古窯址群・備中陶古窯址群・児島古窯址群などもありますが、邑久古窯址群と比較していずれもその規模は小さいです。

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