刑部陶痴 おさかべとうち

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

名古屋の人。
名は玄、陶痴は号。
1842年(天保一三)名古屋城内で生まれました。
明治維新後猿面茶室を城内から愛知郡末森村入舟山(名古屋市千種区)に移し、これを山荘として風流三昧に暮らし手担ねの陶器もつくりました。
1885年(明治一八)から瀬戸陶磁工組頭取として五年余り在職、この間多大の費用をなげうって瀬戸陶磁を調査し『瀬戸の花』を編纂しました。
この書はのちの『をはりの花』の土台となりました。
1908年(同四一)岡山で没、六十七歳。
※おわりのはな

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